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slip into chaos - 日々録(2006年1月)

2006年1月4日(水曜日)

体脂肪率が測定できなかったうちの弟であるが、先日、体脂肪計つき体重計を買ったきて計ってみたら8.6%と出た。体重もちょっと増えて61kgになっていた(やつの身長は181cm)。なんでも、近所に土日営業の歯医者ができたので10年以上ほったらかしにしてきた虫歯を治療したところ「左右両方の歯でちゃんと噛めるようになったらたくさん食べられるようになっちゃってさー」なのだそうだ。そうだったのか。

そんな弟が今年父親になる。うーむ。

2006年1月10日(火曜日)

先日、いつものように精神科に受診に行った際、ドクターがふとオイラの方をしばし見やってこう言った。

「失礼ですが、今体重はどのくらいありますか」

きたよ。この病院に通うようになって1年が過ぎたが、その間確実に珍獣度が増してきているオイラ。

「精神的な状況も気になりますが、やはり肥満というのは生活習慣病の元になりますから、普段運動もされてないようですし、一度血液検査をしてみましょう」

くー。まさか精神科でまで血液検査されるとは思ってもみなかったよう。よく見ると診察室の中には採血の道具とかちゃんとあるんだわ。手慣れた感じでひょひょいと一人で採血の準備をするドクター。看護士さんのヘルプは一切なしか。

なんとなく、精神科ってただ患者さんの話を聞いて薬を処方するだけってイメージがあったもんだから、いきなり採血なんてちょっとドキドキもんだったんだが、これが意外な事に非常にお上手な採血っぷりでありました。オイラ血管が出にくいので(珍獣だからね)採血の時はいつも少々手こずるのだが今回は何の支障もなく一発オーケー。まあ。ドクターすごいわ。これでまた微妙に信頼感がアップ。

で、検査の結果、特に異常な数値はないとの事。いくつか高めの項目があるけれども、これは肥満が改善されれば自然に正常な数値になるだろうから、気分がいい時はできるだけ体を動かすとか食生活を見直すなどしていった方がいいですねとの事。ふいー。普段はオツムの調子以外は至って快調なので、寒いけどなるべく外を歩く事にするかね。

そう言えば休職してからこっち、便秘は完全に解消されたなあ。仕事してた時はそりゃもう大変なものだったが、家で休むようになってからは快腸そのもの。以前ちょくちょく起きてた腸の痛みも全然ないし。通勤と仕事がストレスだったって事なんかなあ。

でも、いずれまたそのストレスの中に戻っていかなきゃならないのよね。はあ。今はまだその事を考えると気が重い。ゆっくりいこう。

2006年1月23日(月曜日)

さし絵ライター養成講座の広告

この新聞広告が「さし絵ライダー」に見えた。

さし絵ライダー。

ってな感じのコミックマスターJみたいなのを想像したんだよう…かっこいいじゃないかああ…。

Amazonアソシエイト売り上げ報告

2005年第4四半期(10月〜12月)のご報告です。

ご利用ありがとうございます。

bk1売り上げ報告

先月のご利用はありませんでした。

2006年1月25日(水曜日)

Amazonからこんなメールが来よった。

Amazon.co.jpからのお知らせ

お客様からご注文いただいた商品を本日発送させていただきました。

ご注文の処理が完了しましたのでお知らせします。

Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございました。またのご利用を
お待ちしております。

今回発送する商品は以下のとおりです。
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数量 商品 価格 発送済み 小計
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1 未定 ¥4,524 1 ¥4,524
販売元: Amazon.com Int'l Sales, Inc. -

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小計: ¥4,524
配送料: ¥0
合計: ¥4,524
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なんだよ「未定」って! 出荷した商品のタイトルもわからんのかおまいは!! こちとらあれこれ買い物してるからそれがいつ頃届くかなんて把握してないんだよ!!!(逆切れ)

こうなったら実際に届くまで意地でも自分じゃ調べないぞ(えー)。

…いや待てよ…ひょっとして眠くなってふにゃふにゃしてる時に無意識に「ポチッとな」しちゃって変なもん頼んでたりするんじゃ…ああああ今の自分ならやりかねない。

ドキドキしてきた…。

2006年1月26日(木曜日)

アルゼンチンから「Slip Schwein」の検索でうちのサイトにアクセスキタ―――――(゚∀゚)―――――!!!!

ホントに「SCHWEIN」目当てだったら嬉しいな。でも本当の探し物はこれだったかも知れぬ。うーむ。

2006年1月27日(金曜日)

25日に書いた「未定」の商品がAmazonから届いた。

Kraftwerk:MINIMUM-MAXIMUM(DVD)

そうかあこれかあ。すっかり忘れてたわ(テヘ)。つか、今Amazonのページ見たらちゃんとタイトル出てるじゃねえか。ったくもう。さー、明日はゆっくりこれ見よう〜っと。

2006年1月28日(土曜日)

NHK教育テレビ「ETVワイド ともに生きる」”女性のうつ”を見る。

うつを経験した人や今も治療中の人の体験談などが延々と語られ、途中で、もう見てらんないという気持ちで「体験談を知るのも貴重な事だが、うつは心の風邪などではなく脳の機能が低下する病気なのだという事をきっちり説明してくれないとこの病気が一向に世間に理解されない」とメールしたが、今回の番組のテーマはそうではなかったようだ。

番組に寄せられたメールやFAXに「苦しんでいるのは自分だけではないと思っただけで気持ちが楽になりました」みたいな意見も寄せられていたけど、家族の気遣いがきっかけで回復に向かった人の体験などは、それが得られない立場にある人には逆に「自分にはこんなの無理だ」と絶望的な印象を与えてしまうのではないかとも思った。

うつになる原因も症状も一様ではないから、個別の事例を紹介するよりはもっと一般的な事、病気になるしくみだとか薬による効果だとかどんな治療が有効かなどの情報を多く取り上げてほしかったと思う。その方が、今苦しんでいる人にとっては有益だったのではないかと。

*

自分の事を振り返ってみると、元々うつ要素満載だったように思える。子供の頃から神経質で生真面目で融通が利かなくて、親の離婚・再婚・弟妹の誕生・度重なる引っ越しなど自分の力ではどうにもならない出来事が目白押しで、小学生の頃は自家中毒、中学生の時には登校拒否で自律神経失調症といった具合にメンヘル路線まっしぐらだった。

高校の時は学校生活が楽しくて、義父がガンで亡くなるなど辛い事もあったが、大学の時には親元を離れ自活するなど、ようやく落ち着いて自分自身と向き合う時間が多くなり、この頃はとても安定していた。

就職してからも、仕事は忙しかったけれど新しい事を覚えていけるのが楽しくて毎日が充実していた。もっとレベルアップしたくて2年後に転職、職場にも慣れて新しい技術も覚えてさあこれから、という転職半年後のある日、クモ膜下出血で母が突然亡くなり、今思えばそれがうつの始まりだったのだと思う。

当時、妹は中学2年、弟は小学5年で自分は24歳。「こんなに大きくてしっかりしたお姉さんがいるなら大丈夫ね」と周囲が口を揃えて言い、自分でも「これからは自分がしっかりしなくちゃだめなんだ」と気負っていた。思い切り泣けたのは、遠方から駆けつけた友達の前と通夜の晩に母の棺桶の前にいた時だけだった。

それから片道2時間の通勤と家族の世話という生活が始まったが、次第に体調がすぐれなくなり仕事を休みがちになっていった。当然職場からは「どういうつもりだ」と責められるが自分ではどうする事もできない。仕事に行こうと思っても体が動かない。家の事もおろそかになり、弟妹も学校を休む事が多くなっていた。やがて、職場を異動になり閑職にまわされたが、それでもどうしても勤怠が悪いので、人手が足りない現場にヘルプ要員として社内派遣のような形での仕事しか任されなくなった。

そんな中、忘れもしない1996年10月21日、急性胃腸炎で入院。原因はおそらく当時の上司との人間関係のストレス。2週間ほど入院している間に弟まで自然気胸で入院し、この時の妹の負担たるや大変なものだったと思う。

退院後、今度は開発現場からも外され、部門内の管理的業務のサポートをすることになった。結局この仕事は自分の性に合っていたようで長く続いたがそれでもやはり月に1〜2度は休んでしまい勤怠は非常に悪かった。

やがて、火を噴いていたプロジェクトに応援要員として召集され、わけのわからない現場でわけのわからない業務をやらされる事になったのだが、この時、精神状態が目に見えて悪化し、初めて自分がうつなのではないかと思うようになった。桜の季節なのに花を見てもきれいだと思えない。食べる事が何よりの楽しみだったのにどんな好物を食べてもおいしいと思えない。仕事にやる気が出ない。何もしたくない。精神科に行ったところ「いわゆる抑うつ状態という症状ですね」と言われ、少しほっとした。この時は投薬治療のみで休職には至らなかったが、薬を飲むと朝起きられなくなる事が多くなり、どうしても遅刻できない日の前日には薬を飲まなくなる事が続き、その事をドクターに告げると「こちらの指示通りに薬が服用できないのでは治療をしていく意味がありません」と言われ、結局3ヶ月程度でこの時の通院は終った。

その後もアップダウンを繰り返しながらなんとか首の皮一枚でつながって会社には残ってきたが、会社が更に遠方に移転し通勤時間が増え、会社の業績悪化に伴い管理部門からのあらゆる締めつけが厳しくなり、社内の雑用的な仕事が増える一方で部門の管理的な職務をしなければならなくなり現場と管理職との板挟み状態になり、読まなければならない書類が山のように貯まっているのに残業も許されなくなり、腸の具合までおかしくなってきてまた休みが増えるようになると「いい加減にしろ」と部長の堪忍袋の尾が切れ、結局また精神科に行き抑うつ神経症と診断されここで初めて休職する事になった。

朝早く起きなくてもいい、満員電車に2時間以上も乗らなくてもいい、作っても意味のない書類を無理矢理通す事もしなくていい、という解放感はあったが、その反面、自分はもうだれにも必要とされなくなっているのではないか、生きていても何の価値もないのではないかと思ったりもするようになり、夜眠れなくなったりいきなり涙が出て止まらなくなったりなかなか症状は改善しなかった。

この時のドクターはその病院の専任ではなく他の病院からの通いのドクターで、いかにも事務的な感じの診察だった。薬の調整は何度かしたが、効いてるのかどうかよくわからない状態で特に回復したという実感はなかったが、いつまでも休んでいるわけにはいかないと復職を申し出て5ヶ月ほどで復帰。それとともに、土曜日でも通える病院に転院する事に。新しいドクターは物腰穏やかで話もゆっくり聞いてくれて、転院して良かったなあと思った。

復帰後の職場は上司が考慮してくれて会社よりもうちから近いところの顧客先で仕事の内容も緩やかなものだったのだが、3ヶ月ほどでまたダメになる。やはり復職を焦ったのがいけなかったのか。「そういうことでしたら今度はゆっくりやりましょう」とドクターに言われ再スタート。

半年後には自分でも「いけるぞ」と自信がついたので復職の打ち合わせをするべく会社で面談。保健士さんからは「初めはリハビリ出社という形で徐々に馴らして行きましょう」と事前に聞いていたのでそのつもりでいたのだが、上司に「最初から定時に出てこれなければ意味がない」「もうどこのチームにお前の話をしても受け入れ先はない」と言われ気分は急降下、結局その場で泣き出してしまい、保健士さんが取りなして「初めはゆっくりの出社でもいいことにする」と上司の納得を得たものの、その帰り、本気で電車に飛び込もうと駅のホームで何度も考えたが思い止まり帰宅。結局その後もどん底から抜け出せず、復職の件は白紙に戻して貰うことにして休職を続行、今に至るというわけだ。

上司にしてみれば、うつというのは単に「やる気がない」「怠けている」という風にしか映っていないのだろうと思う。自分でも最初はそんな風に思っていたが、最近になってようやく、うつというのは心の問題ではなく頭の病気で、薬を飲んで休養すればじきに回復するものであるということがわかってきた。

サイトではいつもスチャラカな事ばかり書いているのであまり説得力はないかも知れないが、集中力・判断力・注意力の低下というのは本当にひどいものがあって、バクチクのライブですら「あの時のあっちゃん可愛かったねー!」とみんなが興奮している場面を覚えていなかったり、ただ漠然とした印象しか残っていなかったり、ツアー自体はとっても楽しかったんだけど、何も覚えていない自分に幻滅したり、もっとちゃんとした状態でたくさん見たかったなあと、ちょっと残念に思うところもある。

でも、「好きな事をやるのが一番いいですよ」とドクターが言ってくれたおかげでバカみたいにツアーに通いまくった事は結果として良かったと思っている。去年のバクチクは本当にお見事だったもんね。

と、いつの間にかバクチクの話になってますが、自分のうつについてはこんな感じ。今はまだへっぽこだけど、少しずつ段々良くなってきているなと実感できることがいくつかできてきているので、焦らずじっくりやっていこうと思ってます。

2006年1月30日(月曜日)

クラフトワークのDVD見たお。

ボックス表 ボックス裏 中身 開くとこんな感じ ワールドツアーマップ 更に開くとDVDが2枚 パッケージ裏

もうこのパッケージのかっこよさだけでメロメロ。惚れる。

ステージには初老に差しかかろうかというダークスーツのおっさん4人(途中で衣装替えアリ)が小さいテーブルを前にして突っ立ってるだけなんだけど、音も映像もとにかく美しくてかっこよくてなあ。ライブで見た時はひたすらうひゃーうひゃーと喜んでたけど、その時の気持ちがまんま蘇る上にバックで流れてた映像がたっぷり楽しめてなんつーかカタルシス。レトロ加減とデジっぷりのバランスが絶妙なんだわ。どこをどう切ってもクラフトワーク。徹頭徹尾クラフトワーク。パッケージやDVD内部のメニューデザイン含め、ビジョンが徹底してるからとにかくストレスがない。もちろん聞いてるだけでもこの上なく気持ちいい音なんだけどね。

ライブで見た時は、テーブルの上にノートパソコン置いてあるのかと思ってたけど、手元がアップになる場面があって、あれはキーボードと各種つまみとモニターなど諸々が一体になったコンソールなんだと分かった。時々それを操作する手元が映るんだけどそれがまたいいタイミングと角度でね。ホント見てて気持ちいい。さすがテクノゴッド。時間をかけて作るってのはこういう事なんだよなあ。こういう物を作るためにはそれなりの時間がかかるって事。それがよくわかった気がした。

で、また思いはバクチクへと飛ぶわけですが、十三階のDVDはつくづくもったいなかったなと。アルバムの世界観をそのまま表現したかったのならSix/Nineの時みたいに全曲PV作るべきだったんじゃないか、いや、作って欲しかった。シアトリカルというよりはドラマティックなアルバムだなと思ってたから、一つの物語をアルバムの映像編みたいな感じで表したものが見たかったなと。で、ライブはライブであくまで別物として、あれを丸ごと残して欲しかった。ツアーパンフとかで想像膨らませて楽しんで下さいって事だったのかなあとも思うけど、でもやっぱりあのDVDの仕上がりは激しくもったいない。キラメキもTight RopeもMona Lisaもあってこそのライブだったもの。ホントにもったいない。

全曲PVなんてやろうとしたらお金がかかるのは百も承知だけど、それでもなんとかしてあの世界を十二分に表現して貰って味わう事ができたらなあって今さらながらに思います。今後のバクチクさんがどう転がっていくのかわからないけど、そういう期待も胸に抱きつつワクテカしちゃうんだ…貪欲だよなあ…。

2006年1月31日(火曜日)

定点観測。

2006年1月31日の我が家

前回に比べて一進一退といったところか。

他の部屋のお片付けも地道に行っていて、読まなくなった本などを整理しまくり一通り溜まるとブックオフイーブックオフにバンバン売るというのを繰り返し、部屋の総重量を減らすべく汗を流す日々である(ちょっと誇張表現)。

実は一番問題なのは先月結婚して出て行った弟の部屋で、これは定点観測している部屋以上の惨状であり、それを完璧にそのままほったらかして出て行くヤツの神経はいかがなものかと思うわけだがいかんともしがたい。たまに服やCDを取りにふらっと帰って来るのだが、

「この部屋なんとかして」

「そのうちね」

で終ってしまう。オイラの育て方が悪かったのか…そのうちどうにかしなきゃな(←似た者きょうだい)。

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