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slip into chaos - 日々録(2006年8月)

2006年8月1日(火曜日)

ふふ。幸宏さんのアルバム「薔薇色の明日」(Amazon)には「蜉蝣」って曲が入ってたのねえ。ジャケットの裏見て、あっそっかー、と思い出したわ。なんかどっかのバンドと微妙に被ってるような気がしないでもないが気にしない気にしない。

幸宏さんに落ちたのがこのアルバムだったんだよなあ、それまでは教授派だったのに。このジャケットもいいんですが、当時はレコードで、中に入ってた歌詞カードの写真がたまらなく良かったの。水の中に入っててズボンに白シャツで腕をたくしあげてね。LPサイズの写真って威力満点ですよ。それにズキューンときちゃった。母性本能が刺激されるってやつだわね。今回の復刻盤にはそのままの歌詞カードが入ってて、思わず「うひゃあ」って声をあげちゃった。

窓辺に佇む後ろ姿に
夕暮れ静かに透き徹るよう

くうっ。

君はいつも微笑んで
僕は君を愛した
ふたつの影は9月に漂う蜉蝣

たまらん。自分にとっての「蜉蝣」はこれなんだわ。

当時は暇さえあればこのアルバム聞いて幸宏さんの写真眺めてうっとりして好きな男の子の事考えてたっけなあ。「GOOD TIME」とか「Coincidence」とか聞くとあのころの思いがうりうりと蘇ってくるよ…あー甘酸っぱい。

それにしてもいいわあ…この時期の幸宏さんの作品はホント好きだわ。キュンとくるわ泣けるわ踊れるわでもうたまりませんよええ。「The April Fools」なんてもう絶品です。幸宏さんの声が好き。ああ、他のもやっぱり買っちゃおー。

2006年8月3日(木曜日)

RinRin王国さんに捕捉されてた愛・蔵太さんとこ経由でnews clipの「身近にある安易なパスワード」が載ってました。道理で7月のアクセス増えてると思った。

*

最近、テレビを見ながら眠っている事が多い。それなりに興味を持って見始めるのだが気がつくと終わっている。先日の映画「ハウルの動く城」もそうだった。

昨日のWBA世界ライトフライ級新王者決定戦もそうだ。1ラウンド目の終わり間際で亀田選手がダウンしてゴングが鳴り、自コーナーに戻った彼の顔を誰かがペチペチと叩いていたところまでは覚えている。その後、気がつくとラウンドは10を越えていて、どうも亀田選手の旗色が良くないように見えた。

結局最終ラウンドまでもつれ込んだ試合は判定に。こりゃあダメだなと思っていたが、結果はまさかの亀田勝利。

ええ〜っ 興毅“新王者”(中日スポーツ)

 亀田興毅(19)が微妙な判定で世界をとった。2日、横浜アリーナで行われたフアン・ランダエタ(27)=ベネズエラ=とのWBA世界ライトフライ級新王者決定戦(観衆1万5000人)で、興毅は1回終了間際にプロ初のダウンを喫し、終盤は足元がふらつく苦戦。2−1の判定で勝ち、リング上で涙ながらに「どんなもんじゃい」と叫んだが、会場でもお茶の間でも疑問視する声が挙がった。日本のジムに所属する6人目の現役世界王者はベルトとともに次戦以降「だれもが納得する勝ち方」という重荷も背負った。

 信じられない結末だった。大方の見方は、興毅の判定負けだったろう。ところが、マイクで告げられた勝者は、興毅だった。1万5000人が詰めかけた会場は、勝利をたたえる歓声と、疑問視する声が入り交じった。

 12回を戦い抜いた興毅は、人目もはばからずに父・史郎さんと抱き合い、号泣した。「オヤジありがとう」「ようやった」。ベルトをオヤジの腰に巻いた。厳しい練習を繰り返してきた本人たちにとっては、これ以上ない感激の瞬間だ。

 だが、試合内容は圧倒的に興毅が押されていた。1回終了間際には人生初のダウンを喫した。11回はKO寸前に追い込まれ、クリンチでなんとか逃れた。「不細工な試合をしてすんません」。それは本人も分かっていたようで興毅の第一声が物語っていた。

「不細工な試合」と自覚していながら「どんなもんじゃい」とは一体どういう神経なのか。ただ「若いから」で済む話ではなかろう。あの「どんなもんじゃい」と過剰な涙さえなければ「これからもっと精進して防衛戦ではうんといい試合見せてくれよ」という気にもなるが、非常に後味の悪いものを見てしまったなという不快感だけが残った。いっそ試合が終わってから目が覚めりゃ良かったのに。

それにしても最近のスポーツ関連はさっぱりしないニュースばかりだ。判定に不服な女子サッカー選手が審判の背中を後ろから蹴ったり、サッカーワールドカップではフランスのジダン選手がイタリアの選手に頭突きを喰らわしたり。

ジダン選手の行為には色々な人が色々な事を言っていたが、不愉快だったのは「サッカーの試合では言葉での誹謗中傷など日常茶飯事」というしたり顔のコメント。そんな事を平気で言ってしまえるくらいサッカーというのは野蛮なものなのか。それでは野次が飛び交う日本の国会のようなものではないか。

実際のところ、ジダン選手が何を言われたのかは本人も相手選手も口を濁したままだ。が、こういった考察がある。

So-net blog:南仏 コートダジュールの日記:ジダン・本当の侮辱発言の意味

ジダンが何を言われたか、明らかになりました。
日本では「売春婦のテロリストの息子」と訳され、「売春婦という言い方は、南ではよく使う」と解説されているのをみました。

違いますよ!
間違いじゃないけど、ちがいます!

ジダンは、売春婦を意味するプッターナ・イタリア語、ピュッタン・フランス語と言われたのではなく、それを縮めたピュットゥといわれたようなのです。

この二つは全然意味合いが違います。

元の意味はどちらも売春婦です。でも、前者が非常に日常でよく使われて、1日1回は最低きくのにたいして、後者は私は4年のフランス生活で一度も日常できいたことがありません。それほど恐ろしく下品で侮辱的な言葉なのです。少なくてもフランスでは。

(中略)

日本人のみなさん、よーーーーく聞いてください! 日本語には、その一言だけで、相手をものすごく侮辱する恐ろしい言葉はありません。日本語には存在しないんです。私はよくフランス人の特に若い男性に、冗談で下品な言葉を「これって日本語でどういうの」と聞かれる事がありますが、訳がないのです。私が知らないのではなく、存在しないんです。かなり下品な言葉程度ですらそうです。ましてや、一言で相手をおとしめて侮辱する言葉なんて、日本語にはないんです。どんなに向こうが聞いてくるすごく下品で侮蔑的な言葉を翻訳しても「このやろう」とか「くそ野郎」とか「お×××野郎」程度になってしまう。この程度の下品さじゃないんです。しかもこれらの言葉は下品だけど、侮蔑的で相手に屈辱を与えるかというと、そんなことはない。日本語にはそういう言葉がないのです。このことを忘れてはいけないです。

確かに、フランス語にはびっくりするような言葉が色々ある。コキュという言葉の意味を初めて知った時(わからない人は調べて下さい)、フランスってのはとんでもない国だなと思ったものだ。

それはともかく、ジダン選手が言われた言葉は相当な悪意を込めて言われたものであろう事は想像に難くない。それも、自分自身に対する中傷ではなく家族に対する侮辱の言葉。本来なら相手の横っ面を引っぱたくなり股間を蹴り上げるなりしてもいいくらいの憤りをぎりぎりに自制して頭突きという行為に留めたように思える。ワールドカップの準決勝で、自分の選手としての最後を飾る場面である事は承知の上で、選手としてのプライドよりも、ひとりの人間として自分の家族の尊厳を傷つけられた事に抗議する事をジダン選手は選んだのだと、そんな風に思った。

先日、久しぶりに映画「炎のランナー」(Amazon)を見た。舞台は1920年代のイギリス。ケンブリッジ大学に入学したユダヤ人エイブラハムズとスコットランドで宣教師の家系に生まれた育ったリデル。二人とも稀に見る駿足の持ち主で1924年に開催されるパリオリンピックへの出場を目指す。人種に対する偏見、プロのコーチをつける事は邪道とされる徹底したアマチュア精神、より早く走る事への欲求と信仰との葛藤。それぞれに様々な苦難を乗り越え、彼らはパリへと向かう。そこにあるのは奇天烈な乱痴気騒ぎでも何でもない、ただ純然たる自分自身との戦い。

ここに描かれた人々や空気の清々しさを今の時代に求めようとしてもそれは叶わない。オリンピックは巨大なスポーツ産業として多くの利権が絡まり合い、元々“スポーツ”ではなかった演目が続々と追加され、地味な競技よりも見た目が派手なものに人の目が注がれる。あげくの果てには選手自らが「見る人に感動を与えたい」などと本末転倒なセリフを言ってのける。

わたしは祭り好きだが意味のないお祭り騒ぎは嫌いだ。今やお祭り騒ぎなしでは成り立たなくなっているオリンピックにもワールドカップにもその他諸々のスポーツイベントにも一切興味はない。いっそ、最初から「興行」と銘打って開催を続けるプロレスの方が余程潔いと思うくらいだ。もっとも、ここにも利権問題が絡んでいるのは周知の事実ではあるが。

bk1売り上げ報告

先月の売り上げのご報告です。

ご利用ありがとうございます。

2006年8月10日(木曜日)

Kelli AliがLinkin Parkのリミックスに参加しているというのでレンタル屋さんで借りてきて聞いてみた(一応説明しておくと、Kelli Aliは星野英彦がソロユニットとして立ち上げた「dropz」でボーカルを担当している人)。CDレンタル使ったの初めてかも。Kelli Aliが在籍していたSneaker Pimpsのアルバム「Becoming X」(AmazonHMV:試聴あり)やKelli Ali自身のアルバムは残念ながら置いてなかった。

で、Linkin Parkのリミックスアルバムは「Reanimation」(Amazon:国内盤もありますが試聴できる方にリンクしときます)、Kelli Aliが参加しているのは15曲目の「MY<DSMBR」という曲。Linkin Parkは全然聞いた事がなくてどこがどうリミックスされているのかさっぱり分からない上に他の曲は総じてどがどがどがどがといった調子でどれがどれだかという感じだったけれども、この曲は女性ボーカルという事もあるし他の曲とはかなり曲調が違っていてこのアルバムの中ではかなり目立った。派手な目立ち方ではなく、曲自体が静かっつーか、たゆたうような雰囲気で。

ここでのKelli Aliのボーカルは変な派手さがなくとても落ち着いていてちょっと低音で印象的。「Becoming X」を試聴した時の印象とはまた違うわね。ふーむ…dropzの仕上がりが気になってきました。

2006年8月11日(金曜日)

最近、なんとなく音楽を聞きたい時にはスカパーのMUSIC AIRか、パソコンを使っている時はPandoraを流しっぱなしにしている。

大抵なにかしらやりながら聞いているのでよほどの事がないとするっと聞き流してしまうのだが、ここ最近どちらでも妙に引っ掛かるものに出会えた。

Pandoraで見つけたのがMasha Qrella。「Unsolved Remained」(Amazon)というアルバムの中の「Destination Vertical」という曲に惹きつけられてCDまで買ってしまった。アマゾンのレビューによればドイツの人であるらしく、ソロだけでなく色々と活動している模様。音も声もいいんだよねえ…ふわっとしてるけどポップ。エレクトロニカとかフォークトロニカとか色々な呼び方をされてるみたいだけどジャンルなんてどうでもいい。聞いていて気持ちが良ければいいの。きちんと作られてる音はいいな。その中に身を任せていられる。

MUSIC AIRを流していて思わず聞き入ってしまったのがSusie Arioli Swing Band(Amazon)。最初はボーカルのスージー・アリオリのルックス(ぽっちゃり体型に丸顔でメガネ)になんて和むんだろうと目がとまって、聞いていたらジャズのスタンダードからオリジナルまで、とっても肩の力の抜けた感じのボーカルと演奏で完全にツボにはまった。Cole Porterの「Night & Day」なんてとってもいい。張りがあるけどリキは入ってないボーカルってなかなかないんだよなあ。いかにも「歌唱力満点でござい」というのは苦手なので。スージー・アリオリのボーカルは真っ直ぐ伸びやかで何より音楽をやっている事が楽しそう。オンエアされていたのは1999年のスタジオライブだったけど、この時ほどDVDレコーダーが欲しいと思った事はなかった。割とコンスタントにリピートされているようなので機会がありましたら是非どうぞ。

これまでうちには女性ボーカルのCDなんてABBA(Amazon)とかキャロル・キング(Amazon)とかSADE(Amazon)とかCURVE(Amazon)とかAtari Teenage Riot(Amazon、ってヲイ)くらいしかなかったんだけど、最近なぜか女性ボーカルばかり聞きたくなってるなー。

余談ですが、Pandoraで流れてきた中にBTというアーティストがありました。これもまたちょっとくせがあって面白かった。こうやって知らない音楽にどんどん触れられるのは幸せ。

楽天アフィリエイト売り上げ報告

先月のご利用はありませんでした。

2006年8月19日(土曜日)

近況。

コミケ70、3日目参加

妹のサークルの売り子として8時頃サークル入場。自分で梱包していない荷物を開けながらのスペース設営がこんなに大変だったなんて。出てくるものに脈絡がないのでかなり手間取るがなんとか開場時間には間に合った。

シャッターそばのスペースだったので初めのうちは暑くもなく混雑も無く楽だったが、1時間ほど経つと次第に空気が澱んできて独特のコミケスメルに満ちてきた。あーやっぱ夏はこうじゃねえとなー。

昼前には妹も到着したのでスペースを抜け出して買い出しへ。今回はチェックしているサークルが少ないから回るのも楽よねーなどと呑気にうろつく。一番嬉しかった収穫はこれ。カタログをチェックしている時に「川島よしお家」というサークルのカットを見つけて、どうもこれがご本人ぽい…で行ってみるとまさにその通りであるばかりかスペースに川島よしおさんご本人がいらっしゃる! うわー、なんかマンガに出てきそうなキャラだあ。買った本にイラストを描いて貰っている人がいて、絵を描いて貰うのは恐れ多いなあと思い「日付とお名前だけでも…」と言うと、なんとサカサカとカットまで描いて下さるではないか! かわいい! 嬉しい! オイラ感激ですよ! 「従藍而青」とは「青は藍より出でて藍よりも青し」の意味なんですね。うーむ、深い。コミケにはよく出ていらしたんですね、これからは要チェックや。

そんなこんなでスペースに戻ると「はい、これ」と妹。見ると、一流ホームページのゴトウさんの無料配布誌が。うああああああああ…なんたることか…是非ともお目にかかりとうございました。

その後、買い出しに出かけた妹から特選マル秘情報(んなこたーない)が。「モグダン先生(成人向けマンガ作家さん)のとこ、お父さんとお母さんが来てるよ」えええええええええ。お母さんがイベントに見えているという話は漏れ聞いていましたが、今回はご両親お揃いとは。さすがコミケ。いやいやそういう問題か。折りを見てもう一度出かけてみると、本の頒布は終わっていましたが壁際のスペース内にはいつものスタイル(黒い服に黒いサングラスで足を組んで椅子に浅ーく腰掛けている)のモグダン先生と、暑さと人込みに疲れたのか少々ぐったり気味のご婦人の姿。そして、人もまばらなスペースの外では初老の男性が何やら甲斐甲斐しくあれこれと動いていらっしゃる。ふわ〜、本当だあ。きっと孝行息子さんなんだろうなあ…なんとなく今井さんのお父さんの事が脳裏をよぎりました。

その後、早めにスペースを畳んで帰路に。時間が早いとペリカン便の発送も混んでなくていいわ〜。バスを待っている時にちょうど16時になったので妹とふたりでお疲れさまの拍手。ぱちぱちぱち。

家に着いてからパワパフ関連のスレをチェックしたりしているうちに気がついたら日付が変わっている。買ってきた本も読んでないのになんてこったい…

姪やら甥やら

弟の娘は体重が8.7キログラムになったという。確か生まれて4ヶ月そこそこのはずなのだが、何かの間違いだろうか。送られてくる写真はどれも「立派な息子さんですね」と言いたくなるような貫祿である。ただでさえ赤ちゃんらしからぬ見事な眉毛の持ち主でそれだけでも他の赤ちゃんを圧倒しているというのにこの体重って。青い産着を着た写真などはまるで黒帯の風格である。保育園でもひとり泰然としているそうだ。一体どんな風に育つのやら。

かたや妹の娘は4歳になり、誕生日プレゼントに「いちごケーキ」という木で出来たボードゲームを贈ってみた。対象年齢が4歳からだったので、少々おとぼけ気味のこの子にちゃんと遊べるかしらんと思っていたのだが、本人なかなか気に入った様子。最初に順番を決めるジャンケンで自分が負けてベソをかくあたりは「相手がオイラだと思って甘えてやがるな」という感じだったが、その後は夢中になって遊んでいる。そうなると面白くないのが1歳半の甥で、ミニラケットを手にとりゲームの駒のいちごパーツをバシバシぶっ叩くという暴挙に出た。CDプレーヤーもビデオデッキも既にぶっ壊した、まさに破壊神の登場である。すかさず妹が「叩いちゃダメでしょっ」と叱ると、しばしの沈黙の後、駒を叩かずにラケットでなぎ払うという行動に出た。なかなかやるな。困るけど。ちなみに「いちごケーキ」は駒を全部並べるとこんな感じに。

日常

このところの暑さでさっぱり食欲がわかない。取りあえずあるものにポン酢をかけて食べている。豆腐にポン酢。もずくにポン酢。トマトにポン酢。焼き茄子にポン酢。

たまにスーパーの入り口に置いてある季節のレシピを参考に新しいメニューに挑戦してみたり、残ったつゆがもったいないのでそれを使ってちょっとしたパイオニアになってみたりもしているが、なにせ暑いので火を使う料理を敬遠しがちだ。これではいけないとキムチ鍋にチャレンジしてみたがこれはちと熱過ぎた。何事も中庸が肝心。

そしてひたすら眠い。前の晩、21時頃に寝ても昼食を食べるとスイマーが団体で押し寄せてくる。やめろっ、来るなっ、と買い物に出かけたりして抵抗を試みるも、夕方になるともう耐えられなくなり、「ほんの30分だけ」と目覚まし時計をセットして寝て目が覚めると次の日の朝、というのがここ数日のパターン。エアコンも扇風機もない部屋だし普通は途中で起きるよなあと自分で自分に期待しつつ眠るのだがまるであてにならない。一日3リットルは水を飲んでいるのに全部汗になって流れてしまうのかトイレにも起きない。どうした自分。誰だ、一服盛っているのは。

2006年8月25日(金曜日)

先週金曜日のTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」の中のコーナーにメールを出したら番組中で読まれてしまった。「高校野球、見てますか?」というお題だったので、亡くなった母が大好きだったので供養のつもりで見ていますというような事を書いたら採用されたのだ。最後に森本さんがひと言、「お母さんの事を思い出しながら見ているんですねえ」とちょっとしんみりした感じでコメントを下さったので、ついハハハと笑ってしまった。

高校野球に限らず、母はスポーツ観戦が好きな人だった。相撲、プロ野球、ボクシング、マラソン、テレビで中継があれば何でも見ていた。そして画面に向かって本気で叫んだり泣いたりするのである。

「馬鹿! なんでそこでピッチャー変えるんだよ! ここは継投だよ継投!」

「あーっ、上手(うわて)空いた、今だ今だ今だーーーーっ!」

「どこ見てんだよどこ! ジャブ打ってけジャブジャブ! そんなんじゃ一発もらっちゃうぞぉ、あーーーーーーーっ! ほら見ろ! 馬鹿! だから言ったじゃんかっ!」

声が枯れようと、祖母が「ご近所迷惑になるから(恥ずかしいから)やめなさい」といくらなだめようと、やむものではなかった。

夏休み、弟の友達が遊びに来ている時でも高校野球が始まるとテレビの前にかじりつき「あーーーーーーーっ!」「わーーーーーっ!」「打てーっ! 打てーーーーっ! 逆転だーーーーーーっ!」といった具合で叫び続けるのでお友達はみんなポカーン。見かねた祖母が「お友達が来てる時くらい静かにしなさい」とさんざん説教し、別の日おとなしく観戦していると「今日は○○くんのお母さん“わーーーっ”て言わないんだね」と言われる始末。

そういう人だったものだから、思い出す事といえば「あん時ゃ凄かったなー」という調子なので、とてもじゃないがしんみりと母を想う、みたいな感じではないのだ。

そんな母はNHK時代の森本さんのファンだったので、今年もお盆ほったらかしでコミケに馳せ参じた親不孝者としては、こうしてメールが取り上げてもらえただけでもいい供養になったかな、などと勝手に都合よく思っていたのだが、今日思いがけずこんなものが届いた。

毛筆で「スタンバイ」と書かれたオリジナルクオカード

今朝の放送を聞いていて「採用された方には番組オリジナルクオカードを差し上げます」と言っていたので、そうか、これってプレゼント付きだったのかあなどと呑気に思っていたら早速届いた。仕事早いなあ。

にしてもなかなか迫力のあるカードである。早速仏壇に供えて報告した。「お母さんのネタでこんなん貰っちゃいました。今年のお盆はこれで許してね」

2006年8月29日(火曜日)

時々、無性に音楽から離れたくなる時がある。

普段は道を歩いていてもご飯を作っている時でもぼんやりしているつもりでも常に頭の中に音楽が流れていて、ラジオやテレビやパソコンでも音楽チャンネルばっかり聞いていてそれこそ"No Music, No Life"な生活を送っているのだが、ふと、全ての音楽をシャットアウトしたくなる時がある。きっかけは特にないと思う。

それなら自分から聞かなければいいわけだが、最近は聞きたくなくてもとにかく何につけ音楽が耳に入ってくる。外に出ればコンビニでもスーパーでもずっと音楽が流れているし、商店街なぞ歩いた日にはあちこちの店頭から流れてくる音楽とアーケードのスピーカーから流れてくる音楽とがぶつかり合って哀れ騒音と化している。ニュースを見ようと思ってテレビをつけてもバックに音楽が流れている。ニュースのバックに音楽など無用だと思うのだが、民放だろうとNHKだろうとニュース番組は賑々しい音楽で幕を開ける。もはやどこにいても音楽から逃げられない。昔、誰かが書いたSF小説に無音レコードというのが珍重される話があったが、それを地で行くが如くに外の音を遮断するためのヘッドホンなんてのも発売されているご時世である。

そんな折り、滅多に映画を見ない自分が一日に2本の映画をハシゴしたのだが、そのどちらもが音楽のない映画だった。

1本は「紙屋悦子の青春」(これはちょっとあんまりなURLだ)。新聞の映画評で知世ちゃん(原田知世さん)が出演していると知って、戦争がバックにあるらしいけど久しぶりに知世ちゃんが見たいなあと思って行ってみた。

詳しいストーリーや解説はリンク先にあるので印象だけ書くが、劇場映画を見て泣いたのは多分ポール・ニューマンの「ガラスの動物園」以来だと思う(元々劇場に行ってまで映画を見る事はあまりないのだけれど)。描かれているのはとある一家の2週間ほどの生活の情景で、それが昭和20年の春、ちょうど桜の咲く季節の事。元々舞台用の戯曲だったらしく登場人物は5人、場面はその家の中だけで、すっとぼけた夫婦の会話とか見合いでガチガチになってる青年の空気の読めなさとか思わず笑ってしまうシーンも多いのだけどそこには確実に戦争という現実があって、声高に戦争反対を叫ぶわけでも殊更に何かを美化するわけでもなく、かつて日本に戦争がありそれが当たり前だった時期があったという事を一見淡々と、でもとても丁寧に描いていて、それだけに却って訴えるものが切実に伝わってきて、今の自分の日常の中に戦争が入り込んできていない事はなんてありがたい事なんだろうと心から思うと同時に、かつて日本が経験した戦争というものを礼賛する事も卑下する事もその時代に生きた人達に対して礼を失しているのではないか、本当に必要なのはまず事実を見据える事、そしてそこから受けた自分の感情を真っ直ぐに表現することなのではないかと感じた。何がどうして泣けてしまったのかは実際に見て頂くしかないと思う。これから順次全国で公開されるようなので是非多くの人に見て欲しい。

それにしても知世ちゃんはいい女優さんになったなあ。映画のパンフレットは買わなかったけど、雑誌「キネマ旬報」2006年8月下旬号(No.1465号)にこの映画の特集があると知り、その足でバックナンバーを扱っている書店まで行って買ってきてインタビューを読んだ。このインタビューページの写真の知世ちゃんはまさに女優然としていて、インタビューの内容もいいものだった。角川春樹の功績は原田知世を女優デビューさせた事に尽きるのではないか。相手役の永瀬正敏さんのインタビューも載っていたが写真がまんまヒデ(BUCK-TICK)だったので笑ってしまった。年取っても似てるんだなあこの二人。一度でいいから並んでみてほしい。

監督の黒木和雄さんはこれが遺作となったそうで、他の作品も見てみたいなと思った。いい映画だった。こういう作品には音楽は必要ない。それだけ、救いがない内容なのだとも言えるかも知れない。エンドロールでは音楽が流れたけれど、これがなかったらあまりにも辛過ぎて映画そのものの後味が違ってしまっただろうな。こういうのを癒しというんだろうか。

もう1本は「島ノ唄」(注:リンク先は音が出ます。トップと最新情報以外のページに飛ばないと止まりません)。公開初日に吉増剛造さんと町田康さんのトーク見たさにレイトショーで見たのだが途中で完全に落ちて(寝て)しまい、今回こそはリベンジとばかりに実は吉増さん(と漫画家のしまおまほさんとのトーク)目当てでレイトショーに行ったのであるが敢えなく返り討ちに遭ってしまった。

上映前のトークでは、いきなり「僕、まほさんの追っかけやってるの」と付箋を沢山貼ったしまおさんの著作を何冊か手にしていささかハイテンション気味の吉増さん、どうやら日中の朝日カルチャーセンター立川のセミナー(自分は行ってません)で南方熊楠を取り上げた事の余韻が体の内に残っていたようで、そのおかげなのかアンテナがいつにもまして冴えわたっている感じで色々な事に気付いておいでだった。かたやしまおさんは「緊張してます」モード全開の様子だったが、島尾敏雄・ミホ夫妻の血(ミホさんは敏雄さん亡き後ずっと喪服で通されているそうだ。雑誌「新潮」2006年9月号に「御跡慕いて」という作品を書かれているが一読して常人の域ではない事が分かる。島尾敏雄さんの「死の棘」(Amazon)は未読だが今はちょっと読むのが怖い)、奄美の島の血を受け継いでいる人としての独特の感性と視点が感じられて、もっとゆっくりお二人の話を聞いていたいなあと思った。しまおさんも「え、もう終りなんですか」と言っていたし。初日の町田康さんの時もそうだったんだよなあ。もっともっと自由にいろんなお話が聞きたかった。あらゆる方向に開かれている人のお話は聞いていて面白いね。それが一人語りじゃなくて相手がいるとなるとなおさら。まるで予想できない方向に話がぽーんと飛んだり、思いもよらないところでうんうんと頷いたり。

で、映画の方だが、こちらは音楽がないとはいえ、リンク先のサイトでもそうなのだがひっきりなしに音が流れている。山の底を流れる川、町中の喧騒、潮騒、吉増さんのつぶやき、島の人の話や歌。とりわけ自然の音があまりにも大き過ぎて「何なんだこれは」という感じ。自分は奄美群島を訪れた事がないので分からないが、実際にもこういう風に聞こえるものなのだろうか。

などと思っているうちに気がつけば眠っているのである。それも実に気持ちよく。いびきなぞかいたりしていなかったろうかと不安になるほど完全に落ちていた。それも何度も。で、結局どんな映画だったのかというと皆目見当がつかないから困る。ミーハーな吉増ファンとしては吉増さんが出ずっぱりなだけでも嬉しいんだけど、朗読があんまり自然には聞こえなかったり妙にアーティスティックなカメラワークだったりとにかく音が大きくて気になったりで(その割にはしっかり寝てるが)映画としてはどうなんだろう。寝ないで最後までちゃんと見られればまた違ったものが感じられるかしら。うーむ。

にしてもいっそどこかで吉増剛造トークシリーズとか企画してくれないかしら。でもすんげー忙しいんだよな吉増さん。こないだブラジル行ってきて(その時に書いたと思われる8月12日付けの原稿が28日発売の現代詩手帖9月号に載っているという同人誌並みの凄さに驚いた)、今週末にもイベントあるし(これは当然行く)、9月16日には群馬でイベントやって、17日には大阪行っちゃうわで。精力的にも程があります。つか、行動範囲が広過ぎて全部追っかけていけません。あうあう。

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