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slip into chaos - 日々録(2007年8月)

2007年8月1日(水曜日)

近況。

そんな感じ。

体調そのものは決して悪くはない。前は15分で食べていた食事の半分の量を30分かけてようやく食っている状態だが、食べられるものはだいぶ増えた。鶏肉もチーズも白米も納豆も卵もオッケーだ。土用の丑の日にはうな重も食べた(1人前を2回に分けてな)。

最近の主食はパンの耳。近所のサンドイッチ屋さんが1袋30円で出しているのだがこれが実にうまい。食パン2本分の耳が入っていて非常にリーズナブル。但し大変人気があるのでなかなかゲット出来ないのが辛いところ。店先に出ているのを見つけるとその日は一日とても心楽しく過ごせる。冷凍しておけば食べたい時に自然解凍すればよいので手間もかからず本当にありがたい。

ちょっと困るのは立ちくらみがする事。血液検査で貧血はないと診断されているので多分栄養不足なんだろう。時々記憶がスポンとなくなっているのも多分栄養不足なんだろう。

それでも吉増さん絡みのイベントは行ける限り行っていて、7月27日に有楽町のよみうりホールで行われた日本近代文学館主催の『第44回夏の文学教室「作家の誕生 デビュー作・出世作の周辺」』(cache)では町田康さんも出演とあって前々から楽しみにしていたのだが、その直前に突如「町田康さん「布袋寅泰さんに殴られた」ロックで食い違い?」というニュースが流れてびっくらこいた。

 芥川賞作家でロック歌手の町田康(こう)さん(45)が、千葉県内を車で移動中にロックギタリストの布袋寅泰(ほてい・ともやす)さん(45)に顔などを殴られ、けがを負ったとして、同県警君津署に被害届を提出していたことが25日、わかった。

 町田さんによると、2人の間には参加するロックバンドの活動方針について意見の食い違いがあったといい、同署は布袋さんから任意で事情を聞いている。

 町田さんによると、2人は6月13日夜から同県富津市内にある布袋さんの別荘に行き、翌14日未明に車に同乗して東京に戻る途中、布袋さんが殴りかかってきたという。町田さんは同月18日、顔や上半身に2週間のけがを負ったという内容の診断書を添えて、同署に被害届を提出した。

 町田さんは「最初は趣味のバンドのはずだったのに布袋さんから商業活動としてやりたいと言われ、トラブルになった。(布袋さん側から)謝罪文を受け取ったが、自身を正当化しようとする内容で、謝罪とは思えない」と話している。

 これに対し、布袋さんの事務所では「(町田さんから)被害届が出たことは承知している。プライベートなことで意見の食い違いがあり、もみ合いになった。詳細についてはコメントを控えるが、事務所としては誤解を解く方向で動いていきたい」としている。

(2007年7月26日3時10分 読売新聞)

布袋、町田康さん殴る:芸能:スポーツ報知

 人気ギタリストの布袋寅泰(45)が芥川賞作家でロック歌手の町田康さん(45)の顔などを殴り、けがを負わせていたことが25日、分かった。町田さんが千葉県警君津署に被害届を提出した。

 関係者によると、2人は先月中旬、同県内にある布袋の別荘から、車で同乗して東京に帰る途中に布袋が町田さんを殴ったという。町田さんは全治約2週間のけがを負った内容の診断書とともに、被害届を提出した。

 布袋と町田さんは旧知の仲で、布袋の曲の作詞を町田さんが手がけたり、布袋が昨年発売したコラボレーション・アルバムにも町田さんは参加している。趣味でともにバンド活動を行ったりもしているが、音楽活動を巡り双方の意見に食い違いが生まれ、トラブルとなったようだ。

 町田さんは自身のHPの6月14日付の日記から「午前、病院。午後、病院」などと何日間か通院を告白。同25日付では「うそつき野郎を滅ぼしたい」と布袋との“ケンカ”を暗示するコメントを残している。布袋の所属レコード会社は「事務所からの報告を受けていない」としている。

 ◆布袋 寅泰(ほてい・ともやす)1962年2月1日、群馬県生まれ。45歳。氷室京介らとBOφWYを結成し、82年デビュー。88年解散後、吉川晃司とのユニット「COMPLEX」を経てソロに。「CIRCUS」「スリル」などヒット曲多数。86年山下久美子と結婚するが97年離婚。99年、今井美樹と再婚。

 ◆町田 康(まちだ・こう)1962年1月15日、大阪生まれ。45歳。81年アルバム「メシ喰うな」でデビュー。92年執筆活動をスタート。96年小説「くっすん大黒」で第19回野間文芸新人賞。2000年、小説「きれぎれ」で第123回芥川賞。02年、小説「権現の踊り子」で第28回川端康成文学賞を獲得。

(2007年7月26日06時06分 スポーツ報知)

布袋側は一方的な暴力否定…町田康さん被害届でコメント:芸能:スポーツ報知

 人気ギタリスト・布袋寅泰(45)が先月中旬に、芥川賞作家でロック歌手の町田康さん(45)にけがを負わせた件で、布袋の所属事務所はマスコミ各社にファクスでコメントした。

 「こちらから一方的に暴力を振るったように報じられておりますが、これは事実ではありません。現場にいた第三者の証言を含み、当時の状況は全て警察にお話してありますので、そこで事実が証されることと思います」と説明した。

 町田さんは全治2週間のけがを負い被害届を提出しているが、「怪我を負わせるに至ってしまったことについては大変申し訳なく思っています。友情関係の上に生じた問題でもありますので、友達として解決を図るべく本人も含めて努力して参りましたが、理解を得られずとても残念に感じております」としている。なお、布袋本人はコメントを出していない。

(2007年7月26日13時46分 スポーツ報知)

朝のニュースワイドでも取り上げられてて、コメンテーターが「パンクとロックなんだから殴りあってそれで済ませればいいのに警察に被害届を出すなんてかっこ悪い、町田さんはもう作家先生になっちゃってるって事なんでしょうかねえ」なんて言ってるのを聞いて、それはなんか違うんじゃないかと思った。布袋さんは前にも女性関係で要らん事言って俳優さんを怒らせた事もあるし、今回の謝罪文とやらがどういう代物だったが気になるところだが、事情聴取もされているというし、いずれ何らかの形で決着がつくんだろう。

てなわけで、当日ひょっとしてキャンセルになるんじゃないかと思ったが、会場に行ってみると特別騒ぎになっている様子もなくプログラムの変更もなかった。

この日は一人目が吉増さんで、作家の誕生というテーマではあるけれどもどうしても3月に亡くなられた島尾ミホさんの事をお話ししたいので主催の方にお願いして「詩の始まりから終わりへ 島尾ミホさんを偲びながら」というタイトルにさせて頂きました、と前置きされて、「お月さまがお日さまになったような方」というミホさんの思い出や作家としての側面などについて、生前のミホさんの肉声テープ(とてつもなく明るくまるで子供のような純粋な、それでいてどこか人外の何かのような忘れがたいお声)なども交えてお話しされ、最後は吉増さんの“最後の詩作”となった「Poil=ポワル=、アフンルパル」を(時間の関係で)大急ぎで朗読して締めくくられた。いつもながら吉増さんのお話は元々用意されている内容が濃くて深い上にその場での疑問や発見が次々と表れるので、1時間ではとても足りないなあ。でも、お話の中で「詩とは別の形で書きたくなっているのかも知れない」というような事を仰ったのがとても嬉しかった。

二人目の作家さんは前に新聞で連載をしていたけれどまるで引っ掛かるところがなかったので最初からパスしてロビーに出ていた。と、日本近代文学館の販売物が並んでいるテーブルの端に、吉増さんがお話の中で触れていたミホさんや島尾敏雄さんの本が何冊か置かれていて、それはみんな吉増さんの私物で殆どが絶版になっているものばかりで「少しでも多くの方にこの素晴らしい作品をお手にとって御覧頂けるように」という吉増さんのお気持ちなのであった。どの御本にもたくさんの書き込みがあり、特に「死の棘」(Amazon)の文庫の前半部分は夥しい付箋と書き込みで溢れていた。一体何度繰り返し読まれたのだろう。また、島尾敏雄さんの没後に出版された「震洋発進」(Amazon)の最後に記されたミホさんによるあとがきは、もうそれだけで一つの文学作品とも言えるような、震えがくるような文章だった。このような貴重な機会を設けて下さった吉増さんに感謝。

そうこうしているうち、二人目の作家さんの終了時刻の10分前くらいになってやたらとたくさんの人がロビーに出てきて、これはひょっとしてこの日のトリを務める町田康さんに備えて早めにトイレを済ませておきたい人たちなのかしらんと思ったけれど真相は知る由もない。終了の合図の拍手が聞こえてくるのを待ってホールの中に戻り、席に着いて町田さんの登場を待った。

斯くして、10分の休憩時間の後に壇上に表れた町田康さんは、去年の「島ノ唄」のトークイベントの時と同じような感じのストレートボブにメガネに白いシャツに黒いズボン。進行役の方の紹介を受けて舞台下手からぺそぺそぺそっと歩いてきて、今回のテーマは作家の誕生という事ですが自分は作家としてデビューする以前に歌手としてデビューしているのでまずはそのあたりの話からしようと思います、という感じで至極フツーに始まったが、自分はパンクをやっていなければ小説を書く事はありませんでした、と、すぽんと仰った。

そして、高校生の時にSex Pistolsを聞いて「これなら自分でもできる」とバンドを始めた事・始めてはみたものの自分達が「クソ」だと思っていたバンドのコピーすらろくに出来なかった事・コピーが出来たところでコピーはコピーでしかないと気付いてオリジナル曲を作り始めた事など、朴訥ではあるけれども穏やかな大阪弁で、どうにも笑ってしまうエピソードや独特の語り口で会場は始終笑いに包まれたけれども(町田町蔵時代からは想像もつかないような光景である)、オリジナルを作る時に自分が考えていたのは“パンク風パンク”の曲を作る事ではなくて、自分がパンクであれば自分が作る曲はパンクである、その事だけは最初から頭にあった、との言葉には物凄く合点がいった。

「パンクとは何か」と言われてもオイラには答えられないし、まして町田さんの中のパンクなるものが何なのかは解りようもないのだけれど(曲を聞くなり作品を読むなりして何かを感じる事は出来るけれど、それが相手を理解する事だなんて思い上がった事は考えてない)、自分が自分であれば自分のする事は全て自分なのだという事は常々思っていた事で、殊に吉増さんが「もう詩は書かない」と仰ってからありとあらゆる人が「その言葉は是非とも撤回して頂きたい」と口にするのを見て、吉増さんは紛う事なき詩人なんだから吉増さんのなさる事は“詩”の体裁をとっていなくても、映像だろうと講義だろうと手紙だろうとそれはみーんな詩なんだからなにも“詩”に固執しなくたっていいじゃないのさ、と思っていたものだから、この町田さんの言葉には非常に納得がいったのである。この瞬間、町田さんに惚れてしまったかも知れない(いや、実際にはもっと前、「俺、南進して。」(Amazon)の時点で既に惚れていたような気もする。これはアラーキーさんの写真がむちゃくちゃかっこ良過ぎた。風景だけでもエロスなんだもん)。

で、町田さんが小説を書く段になって、さあ書きましょうと言っても書けるものでもなくて、何か小説になりそうなものはないかと部屋を見ても何もなくて、外に出て、歩いて、電車に乗って、バスに乗って、それでも何も見つからなくて激しく憤慨していたところに、ちょっと待てよ、今自分がやっている事は“小説風小説”を書こうとしているのではないのか、と気付いて、そんならその考えを全部とっぱらってしまおう、と、そうして出てきたのがもう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。という「くっすん大黒」(Amazon)の冒頭のフレーズだった、のだそうだ。

そして、「自分はパンクであるから小説を書いているのです」という感じで実にお美事な締め。くー。惚れるなあ。

翌日のスポーツ紙には軒並みこの日の事が報道されていて、

てな感じ。見出しも記事もいろいろだなー。しかし、30人もいたのか報道陣。

YouTubeにライブで共演した時の動画があがってるんだけど、えれえかっこいいんだよなあ、これ。このレベルだったら確かに商業でイケるって思っちゃうのも仕方ないかも知れん。

2007年8月4日(土曜日)

市の体育館で行われたスポーツメディカルチェックなるものを受診してきた。

かかりつけの病院の待合室にあったチラシで知ったのだが、「メディカルチェックとは健康診断だけではわからない運動中の心臓の動き・血圧の変化・筋肉や関節の具合をチェックすることで、その人の最適な運動の程度を専門の医師が処方・提案するものです」ということで、このところ目に見えて体力が減退している自分にとってはなかなか有意義なものなんじゃないかい?と思って電話で予約を入れたら、折り返し、内容の説明と問診票が送られてきた。適度な運動をするので、運動にふさわしい服装とタオル・室内用運動靴などを持ってくるようにとある。

適度な運動ねえ。きっとスポーツジムにある自転車みたいなやつとかなんだろなーと軽く考えていたのだがこれが甘かった。

当日、時間通りに行って着替えを済ませてメディカルルームに入るとオイラが一番乗り。まずは問診票を見ながらスポーツドクターが既往症など色々チェックする。で、「何が目的ですか」と聞かれて「とにかく体力がないので無理なくできる体力作りを」と言うと「そうですね、普段運動していない人がいきなり運動するのは危険ですからね、今日はそのための目安というか、現状でどの程度の運動能力があるかを見ますから、まずあちらで心電図を」と、白衣のおばちゃんが待ち構えるエリアに通される。えー心電図。しまった乳毛の始末をしてないぞ。でもおばちゃんだからいいか、などとみっともない言い訳を自分にしながら寝台に寝そべり、胸と手足にぽきゅぽきゅと電極を付けられる。

で、普通に心電図をとったところでおばちゃんが「これからはちょっと違うとり方しますからね、普通は手足にも付けるでしょ、こうやって挟んでね、でも今度のはそれがないの、鎖骨と胸と脇腹に付けるのよ、やったことあります?」とマシンガントーク。いえ、ないです、と言うと、「でも普通の心電図とるのと同じですからね、痛くもなんともないですから大丈夫」と、ピップエレキバンみたいな電極を10個程あちこちにぴたぴた貼り付ける。と、棚の中からオーディオケーブルのごついやつみたいな束をうんしょと取り出して、「これを今貼ったところに付けますからねー」と、エレキバンのピップ部分を挟むようにしてケーブル取り付け作業に。ケーブルの先は洗濯ばさみみたいになってて、取り付ける部位によって色が分かれているようだ。ケーブルの取り付けが終わると、「途中で落ちないようにテープで留めますからね、かぶれた事あります?ない?じゃあ大丈夫ね」と、ミイラ男かっつー勢いで電極の上にもケーブルの上にもサージカルテープをぐりぐり貼りまくり。ん、途中で落ちないようにってなんなんだ。

斯くして、かなり重たいケーブルを装着したサイバーアニメみたいな格好になったところで、「これ持ってあちらの方に行って下さいね」とケーブルの束を渡される。わーなんか変な感じ。行った先には「僕らスポーツ大好きです!」みたいな、いかにもスポーツインストラクターという体のお兄さんが数名と、スポーツジムによくあるベルトコンベアみたいなやつと、パソコンのモニターみたいなやつと、その前にどっかり座ってるドクターぽいおじさん。

部屋に入るなりお兄さん達が「こんにちはー! 今日は暑いですねー!」と、インストラクター口調で話しかけてくる。オイラはこれと美容院の兄ちゃん姉ちゃんに話しかけられるのがこの上なく苦手だ。が、ここへは自分の意志で来たのであって電極も付けまくりだし今さら「無理」とか言って逃げ出すわけにもいかない。それにしてもなんでインストラクターの人たちは常にテンション高いんだろう。陰にこもったインストラクターもヤだけど。

観念して椅子に座るとこれからする事をインストラクター口調で説明される。これからこのベルトコンベアみたいなやつに乗って運動負荷チェックをする事。このベルトコンベアは速度が変わるだけでなく傾斜も変わる事。徐々に負荷が高くなるが、その途中で何度か「今どの程度キツいか」を質問するのでそれを数字で答えること(目安が表になっている)。途中で何度か血圧を測る事(自動では出来ないので途中で腕を水平に出してお兄さんに測ってもらう)。運動が続けられないくらい苦しくなったら無理せずすぐに申告する事。等々の説明を聞いている間に他のお兄さんがケーブルの先をベルトコンベア付近の機械に繋いでいる。ふーむ。運動中の心臓の動きを測るってこういう事かあ。

準備万端整ったところで測定開始。最初はゆっくりだが徐々にスピードが上がってくる。が、すぐにある問題に気が付いた。飽きるのである。こういうのはスポーツジムなら前方にテレビがあったり本を持ち込んだりポータブルプレーヤーで何か聞きながらやるのが普通だが、メディカルルームには何もない。目の前にはブラインドを下ろした窓があるだけ。普通のベルトコンベアみたいなやつならモニタ部分に速度とか消費カロリーとか経過時間とか表示されるものだがそれもない。ただただてくてくとベルトコンベアの上を歩くだけなのである。そんな空気を察してか、お兄さん達がインストラクター口調で何やら話しかけてくる。ああああ。肉体より先に精神がギブアップしそうです。

それでも何度か速度がアップし傾斜もきつくなって汗がダラダラ流れてきて、ちょっとキツいかなーと思い始めたあたりで、「今はどのくらいですか」と聞かれて「ちょっとキツい」あたりの数字を答えたら、「普段運動してないんですよね」「あんまり表情変わりませんね」とかお兄さん達が口々に言う。うーん、まだそんなに顔に出る程は苦しくないんだよなあ。とか思ってたら、じーっとパソコンの前に座っていたドクターらしき人が、「いや、これで見るといかにも普段運動してないって感じ」とひと言。…そりゃその通りなんだけどさー、なんだかなー、なんかなー。

その後2段階くらい負荷が上がったあたりで「はい、これで終了です」の声。おお、限界の向こう側まで行かなくていいのか。ゆるゆるとベルトコンベアから降りて椅子に腰掛けると汗がもうダラダラ。「どうぞ」とお兄さんに麦茶を渡されたところでいきなり気付いたが、オイラってばノーブラでうら若きお兄さん達の前にTシャツ1枚の汗だくっちゅう状況で存在してるわけじゃん。うーん。うーーーーん。ま、いいか。

休んでいる間にケーブルが外され、「お疲れさまでしたー!」というインストラクター口調の声に送られておばちゃんエリアに戻り、サイバー状態から開放される。ふいー。これで終わりかと思ったらまだ別のチェックがあるというので更に別室へ。ドクターっつうより整骨院の人っぽいおじさんに握力計を渡され「うんと力入れてー、もっともっともっともっとー」、背筋力も「もっともっともっともっとー」。ひいひい。そしてまさかの立位体前屈。「あらー、硬いねー」ええそうですともっ(本当のことを言われると腹が立つものです)。それから目をつぶっての片足立ち、何度か右足で立ったのだがすぐに着地してしまい、左足に変えてみたら結構いけた。「これは今日の最高記録だなー」だって。次の順番の人がもう結構来てて、やれるところからこなしていってるようだった。

これで全てのチェック終了、最初のスポーツドクターのところに戻って結果を聞く。心肺機能に異常はないので軽い運動から始めて徐々に時間を伸ばすといいでしょうとの事。で、どういう運動がどのくらいの強度かという表を提示され、オイラの場合はとにかく今までなんにもやっていないのでまずは歩く事からで運動の目安は心拍数、〔220−年齢〕が運動時の最大心拍数なんだそうで、目標心拍数は〔最大心拍数−安静時心拍数〕×運動強度(0.1〜1)+安静時心拍数、なのだそうだ。オイラの場合、安静時心拍数を80・運動強度を0.5とすると、(178−80)×0.5+80で129になる。ふーむ。これはちょっと早歩きで汗ばむくらいの強度。で、最初は週に4〜5回、1日に10分から始めて週に5分ずつ増やして最終的には60分を目標にする、という処方が下された。

が、折しも夏真っ盛り、外に出るだけでふらつくのに10分も歩けるかなーと思って、室内で足踏みでもいいですかというとそれで構わないという。ほっ。そんならテレビでも見ながら気楽に出来るな。

その後、大雑把ドクターのところに行って経過を報告、食べられる物の種類は増えたがどうしても量がいかないと話すと、「まあ、好きなものをゆっくり食べるといいですよ、薬は必ずしも飲まなくてもいいでしょうけど、あった方が安心だよね」と、こちらの気持ちをよおく分かって下さってて、これまで通りの処方をして貰えた。感謝。

さて、これで体力作りの目標が出来たぞっと。よーし、パパ足踏みしちゃうぞー。どすどす。

2007年8月6日(月曜日)

室内足踏み運動を始めて愕然とした。

洋間でテレビでも見ながらのんびりやろう〜とタイマーをかけてどすどすし始めたところでそれはすぐに発覚した。

左右の足の長さが違うのだ。

極端に言うと片っぽだけゲタ履いてるみたいで、かっくんかっくんする感じ。そうなんだよなあ、寝そべって両足を投げ出した時とか、なんか膝の位置が違うなあと前からうすうす気が付いてはいたが、平らな硬い床で足踏みをする事でその事実がこうも如実に突きつけられるとは。普通に歩く時は靴も履いてるし道には起伏もあるし歩幅だって一定ではないだろうから違和感を感じる事はなかったのだが、定位置で足踏みする事でこれほど明確に分かるとは…つーか、こんなにずれてたんかオイラの足は。それがショック。

取りあえず10分どすどすやり終えて即ネットで検索。と、足の長さが違うのはどうやら骨盤のずれが原因らしい。骨盤か。うう、書いてある事がことごとく思い当たるよう。写真を撮る時、自分はまっすぐ正面を見てるつもりでも「もっと首をこっちに曲げて」「もっとこっち」「もっとこっち」と何度も言われるとか。あれは骨盤が問題だったのか。そこで前に買っておいた雑誌「安心」の骨盤矯正記事が載っている号(FirefoxでもIEでもレイアウトがしっちゃかめっちゃかなのはなぜなんだ)を慌てて探し出す。この手の雑誌は買って読んだだけで安心しちゃうんだよなあ。いかんいかん。

お目当ての記事は「骨盤毒出しダイエット」というタイトルだった。骨盤矯正じゃなくて骨盤毒出し。毒か。毒が溜まってるのかああ。やり方は簡単。厚手のバスタオルを何枚か巻いて8センチ程度の高さにして、それを腰の下に置いて立て膝をして膝を左右に振る。これを3分。その後、タオルを首の下に置いて首を左右に振る。これも3分。各動作の前後に呼吸を整える時間があるけどそれでも10分くらいで済む。慣れてきたら時間を伸ばしていけばいいようだ。

最初、タオルをきつく巻くのに少々難儀したが、それからタオルを腰の下に入れたところで「うひー」という感じの痛さが。ここであまり無理せず、腰がちゃんと床に着くようになってから運動を始めればいいようだ。しばらくその姿勢で深呼吸、楽になったところで膝を振ってみる。おお。なんだか今までにないような感覚だなこれは。タオルを押さえて両足を揃えたままで左右に振るので腹筋も使ってる感じ。にしても3分が結構長い。この長さに耐えられるかどうかが関門かも知れん。

で、1セットやって寝た翌朝、両目が開かない。一体何事かと思ったら目ヤニが大量に出ていたのである。いきなり骨盤毒出しダイエットの効果なんだろうか。しばらくやってみよー。

(2007年9月23日アップ)

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