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slip into chaos - 日々録(2008年07月)

2008年7月9日(水曜日)

海上自衛隊の冷やし中華を見て「麺が見えなくて凄いなあ」と思ったのだが、画像検索してみたらみんなこんなんだった…うちの冷やし中華が淡白だったのか。そういえば外で冷やし中華食べた事ないかも。お母さんの冷やし中華が食べたいなあ。

2008年7月10日(木曜日)

先日、ふと思い立ってとある映画を見に行ったのだがめちゃくちゃ腹が立った。下らないとかつまらないとかそういうんじゃなく、腹の底からムカムカした。何がどうすりゃこんなもんが作れるのか、脚本家と監督に聞いてみたい。えれえ金かけてただただ人を心底不快な気持ちにさせて一片の希望もカタルシスもない。ひでえ。原作と映画ではラストが異なるというので原作にあたってみたらば(原作のラストも2種類あるとかで両方チェックしたが)、うん、これなら納得いくわいなあ。なんでこのままやらなかったの? 何を思ってあんなどうしようもないラストに仕立て上げちゃったの? わからん。さっぱりわからん。「衝撃のラスト!」とかいう謳い文句だったが、まあね、確かに衝撃ですよこりゃ。「この発想はなかったわ」って思うよそりゃ、あんなにひどけりゃさ。

もう腹が立って腹が立って腹が立って、すぐさま別の映画見て鬱憤を晴らしてやろうかとも思ったがそんな乱暴な理由で映画を見るのもなんだか貧しいことのように思えて、パフェを喰らうことでその場は収めた(これはこれで貧しいがな)。

それから一週間で3回映画を見に行ったが、それはどれもそれぞれに訴えるものがあって、ああ、映画ってこんなことができるんだなあ、としみじみ思った次第。

ひとつは「ひめゆり」。

昨年、東京で公開された時に見損ねてしまって残念に思っていたのだが、今回カタログハウスのイベントで見る事ができ、監督のお話も聞けた。

上映中、あちらこちらからすすり泣きが聞こえてきたが、泣いている場合ではないと思った。戦中戦後の体験は祖母や伯母から色々聞いていて(空襲に遭った話とか機銃掃射に遭った話とか)それだけでも戦争というのは恐いものだと思わずにいられなかったが、ひめゆりの人達が見たのは地獄だ。それが当たり前の事になってしまう、何もかもが破壊され奪われる、そういう状況を作り出すのは特異な異常者でもなんでもなくて国家全体であるということが何より恐ろしい。

この作品は出演者であるひめゆり学徒の生存者の方達の意向によりテレビ放映やメディア化はせず、映画館での上映や自主上映のみで公開されている。本当の事を知って欲しい、断片だけを聞きかじって欲しくないという気持ちからだという。このことが何を物語るか。

もうひとつは早稲田松竹「カフカ田舎医者」(山村浩二傑作選)と「ペルセポリス」

これもやはり「カフカ田舎医者」が昨年公開されたのを見逃してしまってうりうりしていたのだが、ありがたい事に早稲田松竹が上映してくれた。ここは2本立て(場合によっては3本立て)で料金が1300円、入退館自由で飲食物持ち込み自由、かかる作品は良質な作品というかオイラ好みという大変うっとりな映画館である。

山村浩二作品の中では「年をとった鰐」が面白かったなあ。このお話(ワニがタコを喰っちゃう話)はどこかで読んだか見たことがあるけれど、このアニメは造形がなんともあっけらかんというかほんにゃららんというか、味があっていい感じ。ピーターバラカンさんのナレーションもいいわ。好きだわ。

「ペルセポリス」も面白かった。鼻っ柱が強くて挫折だらけのイラン人の女の子の話。戦争が日常を変えていく様子、自分自身を保つ事の困難さ、家族があるのに離ればなれにならなければならない辛さ。生きるって大変だけど、それを眉間にしわ寄せて語るんじゃなくてちょっとユーモラスに、でも真っ直ぐに描いている。

そして、「イースタン・プロミス」。

待望のクローネンバーグの新作で、なるべく前情報を耳に入れないようにして見に行ったのだが、とても、とてもよかった。誠実であるというのはこういうことなのかと思う。人間の姿そのものに真っ向から立ち向かった作品。

容赦なく血は流れるし凄まじい暴力も繰り返されるのだがそれら全てに意味があり、静かな怒りと誇りと哀しみと愛が丁寧に描かれる。誠実なものは人の心を打つんだなあ…単なるファッションではなく意味のあるものとして描かれるタトゥーもそうだ。誠実さというのは何よりも強い武器なのかも知れない。そのためには孤高であらねばならないけれども。

今回、ちょっと感心したのは全裸の格闘シーンで余計なモザイクがなかったこと。ちょっと昔ならどんなにいいシーンでもでっかい黒丸や毛糸のパンツみたいなモザイクがかかったりして興醒めになってしまったものだけれど、今回はそれがなくて何より。強烈な暴力シーンで文字通り殺るか殺られるかという場面なので、あれにモザイクかかったら笑えないギャグになっちまう。そのあたり、時代が変わってきたのかな。いいことだ。

クローネンバーグは人間の本質に希望を見出そうとしているのかしら。無担保の希望ではないだろうけれども。今後どうなるか、また楽しみ。

と、立て続けに何本か映画を見てしみじみ感じたのは、生半可な気持ちでものを作っても何も訴える事はできない、何事にも誠実に取り組んで誠意を尽くしてこそ伝わるものがあるのだということ。他との差異を見せつけるために自らを誇張したり小手先のテクニックでごまかしたりしても何にもならない。何よりもまず、誠実であること。謙虚であること。そうでなければ何も伝わらない。自戒を込めて、そう思う。

2008年7月20日(日曜日)

毎日毎日性懲りもなく暑いままなし崩し的に梅雨が明けよった。近所のスーパーで時々あずきバーが特売になるんだが午前中に行かないと売り切れる。それはわかっているのだがしかし暑くて暑くて陽が出ているうちは外に出たくないもんだから18時頃にのこのこ出かけて行っては「ご好評につき売り切れました」札を確認するはめになる。みんなあずきバー好き過ぎだろ。他の特売アイスも買ってやれよ。そういえばこないだ新宿でヤモリを見た。夕方の通り沿いのプランターの陰にちょろちょろっと。こんな町中にもいるんだなあ、ペットが野良化したのか元々いるのか。そんな夏。

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