■2009年5月3日(日曜日)
悪い予感のかけらもないさ(RCサクセション「スローバラード」)
BUCK-TICKのGALAXYを聞いた時、「悲しい予感などないさ 僕は嘘をついた」という歌詞でこのスローバラードを連想していた。女の子とふたり、車の中で毛布にくるまってよく似た夢を見て、「悪い予感のかけらもないさ」と歌う。例えつくりものでもそう言い切ることを選ばなかったのはあっちゃんらしいっちゃらしいのかなあと思いつつ、そういえば清志郎さん大丈夫なのかなあと思いはしたもののそのままでいて、それでもライブでGALAXYを聞くにつけ思い出す、というこの数ヶ月だったのだが。
忌野清志郎さん死去 58歳 「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
がんと闘病しながら、音楽活動を続けていたロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳。密葬を近親者のみで行う。葬儀と一般の弔問を受け付ける告別式は9日正午、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。
以前、チャック・ベリーと対談した時の感想を聞かれて「やっぱりロックンロールは歌詞だと思った」と語っていたのが印象に残ってる。ライブは一度しか行かなかったけど、高校生の頃から好きでした。うちの母も好きだったんだよキヨシロー。9日は神戸でGALAXYを聞きます。
ご冥福をお祈りします。
■2009年5月5日(火曜日)
高校2年生の終わり、クラス替えの前になんかやろうぜという話になって、放課後に音楽室借りて演し物大会みたいなのをやった事がある。その時、オイラの事を気に入ってくれてた男の子(交換日記をしてたのだ)が「歌います」と言って伴奏も何もなしで1曲歌ったのだがこれが聞いた事のない曲で、あとから聞いたらRCサクセションのトランジスタ・ラジオという曲だという。まさに「君の知らないメロディー」だったわけだ。今にして思えばあれを伴奏なしで歌うのはひどく無謀だったように思えるが、そのおかげでこの曲はその時の彼の姿と共にずっと印象に残ってるのだった。その後彼は東大に入ってゲイバーで働いてたという噂を聞いたがどうしているんだろうか。
とまあ、そういう世代だもんでね。高校3年になって一緒に汽車通学してた子がRCのファンだったり、ちょうどBlueとかRhapsodyなんてアルバムが出てたりして、Rhapsodyなんてもうどんだけ聞いたか。クボコードーってどんなとこだろうなんて思ったりしつつな。教授と一緒にシングル出す事になった時には朝日新聞に「キヨシローだけは」という投書が載ってそれに教授がサウンドストリートで反応して見せたりとかあったなあ。教授はいろんな人と(今で言う)コラボしてたから、そんな流れでキヨシローを扱われたくないみたいな文脈だった気がする。懐かしい。朝日新聞といえば、YMOのBGMが出た時、「こんなアルバムをBGMと称するのは彼らの照れか」と書いたレコード評が載ってて、ほほーと思った記憶がある。なんか、いい温度だなと思ったんだよな。
清志郎さんの訃報に際してはいろんな人がいろんな形で反応してるが、ケラ氏がブログでこんな事を書いている。
こんな時に傲慢な言い分に聞こえるかもしれないが、ある時期から「スローバラード」が、かつて程の切実さを感じさせてくれなくなったような気がして、俺はRCサクセションのライブに通うのをやめた。
コアなファンなら周知の通り、RCには「暗黒期」と呼ばれる低迷期がある。
シングル「スローバラード」と、同曲を含むアルバム「シングルマン」が売れ行き不振の為に瞬く間に廃盤になる中、続くシングル「わかってもらえるさ」をリリースしようとしていた、1976年、まさに「暗黒期真っ只中」のライブ映像がYouTubeに上がっている。
この中で歌われる「スローバラード」や「わかってもらえるさ」や「九月になったのに」や「まぼろし」における、25歳の「わかってもらえないバンドマン」の悲痛な叫びは、心底胸に迫るものだ。
6年後のライブ映像を観ると、編成やアレンジやビジュアルの変化より、徹底的な抑圧から解放された人間の躍動感が大きな魅力になっているのがわかる。
清志郎さんは、あの時期、ついにわかってもらえたのだ。わかってもらえた人間の威力はすごい。
ただ、わかってもらえた代わりに手放さざるを得なかったものもあったはずだ。
とは言え、もしあのままわかってもらえてなかったらと考えるとゾッとする。
これ読んで、自分がバクチクから離れた時の事を考えてた。バクチクの音に、あっちゃんの歌に、かつて程揺さぶられる事がなくなってライブに行くのをやめた頃。バクチクにずっぱまった当初からあーでもないこーでもないと難癖ばっかりつけて、その状態に自分自身が疲れちゃったんじゃないかなとも思うけど、あのまま、あの胸を鷲掴みにされるような切実さみたいなのがそのまんま持続してたらすんげー辛いと思うし、そうだったら多分続いてないんじゃないかと思うし、そうならなくてよかったと今では思う。どっちみち勝手な言い分だけどな。でも受け手の傲慢さが奪われたら、それはとっても恐ろしい事じゃないか?
もうひとつ、こんな記事。
たとえば吉本隆明の信者はマスコミには多いはずだけど、『マス・イメージ論』でRCサクセションの歌詞について論じた吉本隆明から、清志郎追悼のコメントをとろうとした新聞の文芸部記者が一人でもいたんだろうか。どの作家でも詩人でも文芸評論家でもいいから、文学者からの清志郎追悼の言葉がほしかった。
日本にはまともな音楽ジャーナリズムも、まともな音楽記事を載せる媒体も存在しないから、清志郎の死は、このままでは世代的な共感だけに彩られた、お涙頂戴的な芸能ニュースとしてしか報じられないだろう。でも、忌野清志郎の音楽がこれほど多くの人に愛されたということの裏には、彼のつくった曲の日本語表現としての魅力があったことは間違いないわけで、音楽ジャーナリズムが役に立たない部分を、文芸ジャーナリズムが補うべきではないか。
ふむ。この記事のタイトルが「『ユリイカ』でも『現代詩手帖』でも『エンタクシー』でもいいから詩人としての忌野清志郎を特集せよ」になってて、ユリイカはねーだろとツッコみたくはなったがそれはそれ。
で、そういう評価というか権威付けをしなきゃならないほど日本の音楽はどん底にきてるのかなあと。なんつーか、「文学」タグがついてないと音楽もチェックできないみたいな、ある種の情報弱者みたいな、そういうところに追い込まれてるような印象を受けちゃって。評価を与える事で評価する側が安心できるってのはあるだろうけど、清志郎さんについてはそういうもんでもないだろうと思うのね。吉増さんがどういう反応するかは聞いてみたい気もするけども…なんか違う気もするし。今なら「上を向いて歩こう」で繋がってしまいそうだけどね。その事については別途。書けたら書く。
今日はコミティア88に行ってきた。85以来で久しぶりな上に今回は拡大で3000サークル以上だというからどうなるかなーと思ったがやっぱり楽しい。お目当てのサークルさんが新刊出しててそれが買えるというのは本当に嬉しいものですよ…本当に。
まずは三峯さんとこに伺ってご挨拶して(新刊頂いてしまいました、ありがとうございます)ちょっと告ってしまったりなんかして、その後、つゆくささん、世田谷ボロ市さん、いまい漫画会社さんと回って手元にない本をがっつり買う。そして今回はオイラにしては珍しく壁の列に並んで外に出ちゃったりもしたぞ、むてけいロマンスさん。昼前に何度かチェックしたけど不在で、でも新刊告知してたしリューシカだしでうろうろしてたら列ができ始めて。あれは凄いね、ちょうど周りを買い専グループの人達に囲まれちゃって、「今列できてるから2〜3人回してくんない?」「2部限だってよ、○と○が先に入ってるから4部は確保な」なんて会話がばんばん頭上を飛び交ってな。1部200円の本が今オークション見たら1500円で出てました、どんだけボりますか。でもリューシカリューシカは面白いわ…好き好き。
それからあてどなく島を巡ってはみたもののあまりにもサークル多過ぎてこりゃどうしよっかなーと思って見本誌コーナーに行って「なんだこりゃ」というのを見つけたので即チェックして買いに走り。ああ楽しい。
それにしてもコミティアの本は単価安いよなー。これがこれでいいんですか?といいたくなるような価格設定で、みなさんどうやって運転してるのかと思うんだが、あれだね、ここで利益を得ようと思ってる人はあんまりいないのかもね。コミケだと売る方も買う方もやけにギラギラして殺気立っててなー。あのなんでもあり感はあれはあれで好きなんだけど。でもコミティアのなんでもあり感はまた違うよなー。あーオイラもまた本作りてーなー。って何を書くかね。うーむ。
■2009年5月6日(水曜日)
まるぱは東京にかにぱんが無いといふ、ほんとのかにぱんが食べたいといふ。
なんか真面目な人に怒られそうですがほんとにうちの近所には全然かにぱん売ってなくて。平塚にいた時はスーパーだろうがコンビニだろうがどこでも当たり前のように売ってたのに、うちの近所じゃほんっとに売ってない。もしや会社が倒産してしまってもう二度とかにぱんが食べられないこんな世の中じゃポイズンみたいな事になってるんじゃないかとすら思いましたがどうやらそうではなさそうで何よりなのだが、ああかにぱん…と思ってたらLAWSON100でミニかにぱんなるものを発見。ふぉおおおおおおお。味もそのままだしこれはこれでアリか…でもやっぱりあの大きさで口の中ぱっさぱさになりたいなあ…とか思いつつ昨日ビッグサイト行った時に中のampmに入ったらなんとあるじゃないですかかにぱん。そりゃもうどっさりと。サンドイッチやおにぎりや菓子パンは売り切れてるのにかにぱんだけはどっさりと。ねえねえみんな、ここにかにぱんがあるよ!と言いたい気分でしたがそこは堪えてひっそり買ってきました。コーヒー牛乳も買ったよ。かにぱんにコーヒー牛乳、これだね。なんて贅沢なんだろう。あーすっきりした。
とまあ、こんな風に唐突に食べたくなるものってあるわよねー。かにぱんとか鈴カステラとかビスコとか。なんでどれも口の中ぱっさぱさ系なんでしょう。そしてなんでどれもどこにでもありそうなのに探すとないんでしょう(ビスコはあるけど鈴カステラも探すとないんだよな)。困るわほんとに。
■2009年5月10日(日曜日)
バクチク神戸いてきたおー。自分がどんどんばかになっていくような気がしますが気持ちがいいのは何故でしょう。うふふふふ。
って、関係ないけどマンスリー今月先月書いてないんだな。うーん。まあいっか。書ける時に書けるものを書きましょう。
■2009年5月11日(月曜日)
健康診断の血液検査で引っかかっちゃった、血が薄いとさ。
そりゃそうだよなー。ろくに寝てないしあんま食ってないし。ライブ直後は楽しく飲み食いしてるんだけど、あまりにもあっちゃんがかわいかったもんだからそのあと眠れないやらお腹いっぱいやらで(明け方にあっちゃんファンの人にメールしたら速攻で返事がきたのには笑った。あんなかわいいもん見せられたらおいそれと眠れないっすよねー)。世間一般でいうところの不健康とか不摂生を絵に描いた状態ですよ。そりゃ血も薄くなるってもんだよ。血液中のあっちゃん濃度だったら余裕でクリアできそうだけどなー…顕微鏡を覗いてあのヒゲ面がいっぱいいたら凄いよな…検査結果は当然「(゚ε゚)キニシナイ!!」しかないの。ふっふっ(←かなり進行しているようです)。そんなわけで神戸に追記。
■2009年5月15日(金曜日)
ある方から贈り物を頂きまして。
箱を開けたらカードが入っていて、贈り物についてのコメントやらなんやらの後に追伸が。曰く、おまけが入ってます〜先日藤岡に行ってきて〜ゴミ袋誰かにあげたかったので〜と。
藤岡? ゴミ袋?
頭が?でいっぱいになりつつ中を見てみましたらですね。
もうね。凄いね。愛って凄い。つーか、ゴミ袋がおまけとはいえプレゼントになるって凄くね? これもらってめちゃめちゃウケまくってるオイラもどうなのよって話ですが。
聞いたらこれ今井商店プレゼンツだそうで。記念に買い物していく人の中でもゴミ袋は密かな人気だそうです、お店の方は「なんでゴミ袋が売れるのかしらねえ」って不思議に思ってらしたそうですが。
いやー、だってこれ立派な藤岡みやげですもん。藤岡市指定ですもん。あれですよ、いっそのこと萌えキャラで町おこしみたいにバクチクで町おこし…って今更か…いやいや、ゴミ袋にメンバーのサインをあしらってみるとか、藤岡のいろんなお店で柄違いのゴミ袋を売ってコンプリートしたらスペシャルゴミ袋が貰えるとかやれば(ゴミ袋限定かい)結構いけそうな気も…今年のツアーはもう群馬は終わっちゃったから、次のツアーでどうですかね。って誰に言ってるんだ。
こういう楽しみ方ができる、こういう楽しみ方で一緒に笑える人がいるってありがたいことだなあ。送って下さった方、ありがとうございます。
*
とまあ、恥も外聞もなくこうして毎日バクチクバクチク言っとりますが、一度完全に離れたつもりでいてそういう宣言までしちゃてるっていうこっぱずかしさったらないっすね。つーか、「バクチク ファンサイト」でググるとえらい上の方にそのページが出てきちゃっててもうね、申し訳ないことこの上ない、ファンの方に対して。おまけに、やめたはずがまた戻ってきてるっていうこのしょーもない現実。どーしたもんかしら。
■2009年5月17日(日曜日)
このところ立て続けにそばとか米とかうどんとか頂いております。ありがたいことでございます。食べ物をくれる人はいい人です(単純)。
頂き物はどれもご当地名産品的なもので、こういう、ちゃんと手間ひまかけて作られたよいものというのはあれこれいじらなくてもおいしく頂けますね。そばやうどんはかけやざるで、ご飯は炊き立てをそのまんまとか塩むすびで。素材が良ければ変に手を加えなくてもオーケーっつーかそのままの方がおいしい。そういうものでございます、としみじみ思うのであります。が。
何が言いたいかってえとあっちゃんですよ、そのまんまでいいのに。そこにいるだけで十分なんだから。無理にプラスワンとかしなくていいから。
前にも言ったような気がしますが、基本ができてないのに自分カラーを出そうとしてやっちまってるパターンはメシマズスレに登場する嫁さん方に通じるものがあると思うのよ。先人の経験と知恵の結晶である基本レシピと同じように、セットアップされた衣装はそのまんま着れば大丈夫なようになってるはずなんだから。ターバンとかほっかむりとかしなくていいのよ。そのままじゃちょっともの足りないかも〜って思っちゃうのかなあ…いえそんなことはないわ。素材があっちゃんってだけで何もかも成立してると思いねえ。そのままでいい。そのままでいいのよ。誰かあっちゃんに言ってあげて下さい、安心させてあげて下さい、そのままでいいんだよ、そのままがいいんだよって。
そんなわけで(?)また神戸に追記。
■2009年5月22日(金曜日)
「こなもの」って言葉あるじゃないすか。これって、小麦粉系の、たこ焼きとかお好み焼きとかそういうのをいうんだね。オイラ、ココアパウダーとかパウダーシュガーとかそういうものの事をいうのだと思ってたんだけど違うんすね。
なんでいきなりこんな話かというと、さっき久しぶりにティラミス食ったらすんげーむせて。昔、好きだった男の子と喫茶店に入った時、深く考えずにチョコレートケーキ頼んだら一口目でむせてむせて、でもなんか恥ずかしくて思いっきりげほげほできなくて却って苦しくなって涙ぼろぼろでそりゃもう大変な思いをして、というのを思い出すんだよなあ、むせる度に。結局あの時はなんの話もできずにただむせてただけのような記憶が。それでなくてもまともに話ができたかどうかは定かではないがな。あー甘酸っぱい。
しかし、ココアパウダーの破壊力ときたらほんとハンパないわ。兵器じゃなかろうか。