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slip into chaos - 日々録(2009年6月)

2009年6月4日(木曜日)

うーむ。これはオイラのミスリードなんだろか。

『増殖する俳句歳時記』検索: 20090602

戸恒東人

黒南風や無色無臭の象の檻

もともと風が肝心な船乗りの間で使われていたという黒南風(くろはえ)と白南風(しろはえ)。梅雨に入って陰鬱な暗い雲から放たれる南風を黒南風、梅雨が明けて青い空に白い雲が浮かぶような頃になると白南風。湿度による重苦しさを黒と白の色によって区別することで、南風は人間との関わり合いをより深く持つようになった。掲句は象の檻に吹き抜ける黒南風。巨大な象のすみかを前にして、そこが無色無臭であることが強烈な違和感を際立たせる。野生の動物たちは、自然界のなかで色彩によって身を隠し、匂いで仲間を確かめ合う。無色無臭とは人工の極地であろう。記憶の彼方の樹木や果実の色、灼熱の太陽や砂塵の匂いを思い出しながら、象は人臭い檻のなかで残りの一生を過ごす。象は人間の聞き分けられる周波数よりずっと低い、5ヘルツという超低周波音で発声しているという。無味乾燥な檻の内側でつぶやき続ける象の悲しいひとりごとが、鬱陶しい梅雨の雲を引き寄せているように思えてくる。『過客』(2009)所収。(土肥あき子)

「象の檻」って、オイラてっきり沖縄の楚辺通信所のことかと。

だって、いくら檻が人工物だからって生き物のいるところが無臭なわけないんすよ。象のにおいってすごいですよ。ちょっと離れたところにいてもかなりの象臭がしますよ。「人臭い檻」って、そりゃ犬並に鼻が利かなきゃわからないんじゃ。いや、表現としてのそういう物言いなのかも知れませんが。

で、おまけにそこに黒南風ですもん。

黒南風・白南風(くろはえ・しらはえ)

 鳥羽・伊豆の漁師は、梅雨始めの強い南風を黒南風、梅雨期間中の強い南風を荒南風(あらはえ)、梅雨明けを白南風と呼ぶという。九州西北部では、今でもこのことばを使っているが、白や黒は、雲の色からの命名である。

 すなわち、梅雨中の陰雲な日の南風が黒南風で、そよそよと吹く季節風である。ただし、荒南風は黒南風が強くなって、出漁などに好ましくない風のこと。白南風は、梅雨が明けて黒雲が去り、空に巻雲や巻層雲が白くかかるころ、そよ吹く南からの季節風のことである。

前に6月に沖縄に行った時、こりゃ一体何事かってくらい空気が湿ってて重たくってそれでも風は吹いてるという、それまでにない気象体験をしまして。雨は降ってないんだけど空がもうどんより〜と重暗くて。全身にまとわりつくのわーっとした空気。あれが黒南風なんじゃないかなと思うわけですが、だとしたら生きてる象の住んでる檻が無色無臭とはどうなんだっつー話で。象臭くてむせかえっちゃいますよ。いや、むしろそんな日になんで象の檻なんだ。だからこその無色無臭なのか。南風がもたらした一瞬の無色無臭なのか。それなら凄まじい句だなあ、あまりにも。

そんな風にどっかその辺の象の檻を詠んだという方が季節や情景の切り取りとしては鋭いのかも知れないけど、楚辺通信所のあのかさかさした感じに「無色無臭」というのはとてもいいなと思ってしまうんだけれどなあ。

とまあ、こうやってどんどん勝手に脳内でいろんな「オイラ事実」を積み重ねていってしまうのよねー。無知なればこそですが。物を知らないってのは凄いことだよな。あとから気がつくと汗だくになりそうなほど恥ずかしかったりするんだけど、そうやって築かれるオイラ王国の居心地の良さと言ったらもうね。やめられまへん。思い込みあってこその豊かな日常なの。それが虚像だっていいの。妄想ってステキ。

2009年6月6日(土曜日)

このところちょっと仕事が立て込んできて、帰ってからご飯作るのも面倒だし疲れてるしで出来合いのものを買って帰る日が続いてて。そうやって買ってきたものをもそもそ食べてると、時間をお金で買うってこういうことかなーとしみじみ思いますな。誰かが作ってくれたものをお金出して買う。時間と手間ひまにお金を払う。お金も時間も大切だ。そのバランスをどう取るかが日々の暮らしの匙加減ってやつなんだなあ。

とは言え、お金じゃ買えない、時間が解決するものってのもあるわけで。心身の傷とかね。傷ついた心を癒すのは時間の流れだったりするわけですよ。いたずらに時間を費やせばいいってもんではないけれど、ある程度の時間って必要よね。今だから言える笑い話なんてのもね。

オイラ、今の部屋に越してきて1年と半年以上経ちますが、なにせ元が3DKに一人暮らしで物が多かったもんでかなりの量の持ち物を処分して。それでも6畳の部屋には全部入りそうになくて、一旦部屋に入れたものをまた処分しなきゃいけなくなって。何かというと本です、マンガ本。段ボール4箱くらい持ってきてたんだけど本棚に入らなくて溢れちゃってて。しょうがないんでまた見直して、普通の本も合わせていくらか処分する事にして買い取り屋さんを呼んだんですわ。で、持ってってもらうのはこれとこれとーって渡して、引き渡しが済んでからもしばらくバタバタしてたんでちょっとしてから落ち着いてみたら思ってたよりも空間が広くなってて。その時は、ああこりゃいい具合だなーと単純に喜んでたんですが、しばらくして気がついたらマンガがないんですわ。ごっそり。そりゃもうきれーいに。とっておくはずの分まであの時渡しちゃってたんですね。時既に遅し。デスノートとかハチワンダイバーとかDMCとか新しめのものから、星の時計のRidellなんかの内田善美作品一式、HELLSING、うえぽん、おのとしひろ&上連雀三平もの、新田真子もの、竹本泉もの、などなど。もうねー、ショックなんてもんじゃないっすよ。一番ショックだったのは地獄戦士魔王(ヘルズウォーリアーまおう)だなあ。野獣が…死肉が…シスコが…あああああ。殆どは古過ぎて絶版ばっかりだろうからもう買い戻そうという気も起こらない。つーかね、あれ全部まんだらけに持って行ったら一財産になったんじゃないかしらね。って、今頃言ってもどうにもならないんだけどさ。

かろうじて手元に残ったのはポーの一族と神聖モテモテ王国、それに五十嵐大介の海獣の子供くらい。これだけは一般書籍と一緒に本棚に入れてあったので災難を免れました。モテモテ王国は新装版が刊行されちゃってるけどな! (゚ε゚)キニシナイ!!

そんなわけでですね、これをネタとして語れるようになるまで1年半もかかったというわけですわ。あまりのショックであれ以来あんまりマンガ買う気も起こらなくなっちゃった。一度部屋が片づいちゃうと、ものを増やすのがイヤになっちゃうのよね。シンプルイズザベスト。同人誌は別腹なんだけどー。

*

抒情文芸131号に投稿した俳句が載ってます。その前の号にも載ってます。そろそろ次を考えないといかんな。っていつも言ってる気がする。

2009年6月10日(水曜日)

大宮いてきたー。あっちゃーん。

2009年6月11日(木曜日)

昨日の大宮に追記。そういえば日付が変わった頃に家に着いたら途端に雨が降ってきて、あーあっちゃんありがとーって勝手に思ったのだった。

2009年6月21日(日曜日)

オイラがライブ行かない日は雨が降ってる気がするな。

てな具合にいよいよ梅雨もまっさかり、そうなってくると気になるのが食べ物の傷み加減である。うちは一人暮らしだから大量作成大量消費というわけにはいかず、ご飯は大目に炊いといて1食分ずつ冷凍してるけどおかずや汁ものが困るのよねー。味噌汁1杯分だけ作るのもあれだし。

というわけで最近はもっぱらもずくを汁もの替わりにしています。味付けもずくも手軽でいいけど、生のやつを買ってきてポン酢で食べるのもよい。自分で量や味が調整できるしね。

そういえば前に沖縄行った時に食べたもずくの天ぷらおいしかったなあ…その次に行った時にまた食べようと思ってそのお店に行ったら改装工事中で入れなかったんだよな。あー沖縄行きてー。

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