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slip into chaos - 日々録(2012年3月)

2012年3月31日(土曜日)

去年の誕生日のことを覚えている。46か、と思ったのと同時に「あと2年か」とも思ったのだった。48は母が亡くなったときの年齢で、自分がそのことをこんな風に意識していたのかとちょっと驚きもした。もっとも、去年の今頃は地震や津波や原発で世の中がわやくちゃになっていて自分も平静ではいなかったろうし、あっちゃんたちのメッセージを読み返しては泣くという日々だったので余計にそうだったのかも知れない。

で、こないだ47になったわけだが(誕生日祝いを下さった方ありがとうございます)、自分の年齢がどうこういうよりもあれから1年かという感じの方が大きい。

47歳ね…つーことはバクチクデビュー時はオイラ22か、就職した年か。ふむ。

オイラが学校を出て最初に就職した会社はドクター中松の会社で、細かく言うと「ドクター中松が社長を務める会社の部長が経営している人材派遣会社」だったのだが、ワンフロアに4つか5つの会社やら事務所やら協会やらが同居しているっつーか中の人はみんな兼任みたいな感じの所で。早めに出社してお茶の用意をして(当然「頭においしいお茶」である)掃除とかしてお茶を淹れて回ってOASYSの研修なんぞして、という新入社員らしい日々、先生(ドクター中松のことはそう呼ぶようになっていた)はまだ選挙に出たりはしていなかったが当時からあのキャラで、入社したてのぺーぺーでもなんとなく察しがつく程度には勝手気ままにいろんなことを言っては周囲の人をおたおたさせていたように見えたが、部長という人がちゃんとした人で、白髪を紫に染め上げてスーツをきりっと着てばりばり働いていた女性で、この部長が先生の無茶ぶりをあしらいながら実質的に会社をコントロールしているように見えた。

ある日、いつものごとく社長室(ガラス張りで周囲からよく見える上に声もそこそこ聞こえる)で先生と喧々諤々やっていた部長が先生のあまりの横暴さに「もう面倒見切れないわ」と言って出て行ったことがあって、それからは先生もなんとなくおとなしく部長の言うことを聞くようになって、それを見ていたオイラは子供心に「会社ってこういう風に動いてるのかあ」と思ったものでした。

一度、新入社員の激励食事会みたいなのがあって赤坂の料亭に連れて行かれたことがあったのだが、その時先生に「曽我さんはお母さんという感じだね。お母さん」と言われて、中学生のときから子持ちに見られていたのでそう言われること自体は珍しくはなかったのだが、この人にお母さんって言われたよ…みたいな感じの印象の残り方で。先生のご母堂への敬愛ぶりを知っていたのもあって余計に印象深い出来事ではあった。

それからまあいろいろあって今に至る、と。3年勤めた会社も辞めて社歴ばかりが増えていくオイラの明日はどっちだ。

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