「予感」(CD「DANCE 2 NOISE vol.2」に収録されている曲で、XYMOXというイギリスのバンドの曲に櫻井さんが詞を書いて歌っている)で櫻井さんの”癒し”について触れたところで、わたしの”癒し”は何かあったかしら、と考えてみたところ、浮かんできたのが「砂浜の家」という坂田靖子さんの作品です。
坂田さんといえば、不思議な(変な)世界の不思議な(変な)住人達でお馴染みですが、この作品や「村野」「タマリンド水」のように、ものの命を見つめた作品も多く、その透明感と静けさがしんと心に残ります。
この「砂浜の家」では妻を亡くした主人公の次の独白が忘れられません。
妻はいない
(旅に出ているようだ)
私はコーヒーを飲み
文章を書き
妻に頼まれた観葉植物に
水やりをする
日々は
いつもどおりに
すぎる−
妻が戻ったら
何と言おうか
ドラセナを一鉢
枯らせてしまった
しかし 他の鉢はいいだろう?
私にだって水やりくらい
出来るさ−
それを言う日が
来ないのは
もどかしいくらい
奇妙だ
母を亡くしてしばらくの間、仕事も家の事も自分の事も何もかもが遠くの国の事のように見えて、”ただ息をしているだけ”の状態が続きました。内心では、「誰か慰めてくれないかしら、大変だったねって言っていたわってくれないかしら」と思っていたのですが、どうやらそんなことを待っていてもダメらしいと悟って、「いい加減、目を覚まさにゃいかんなあ」とまでは考えるようになり。
そこからがまた時間がかかったわけですが、そんな時に偶然この「砂浜の家」を読み返してぼろぼろ泣いて。泣くことがカタルシスになるというのは、ほんとのことですね(癒しとカタルシスは、厳密に言えばかなり性質の異なるものではありますが)。
そこから、BUCK-TICKさんに出会うまでにはまたもう少し時間がかかった。今にして思えば、”もう大丈夫”になったからBUCK-TICKさんに出会えたのかも知れないな。
(1998.11.02)