去年の12月のことです。
仕事で移動中、電車が信号機故障かなにかでしばらく立ち往生し、やれやれと思って窓の外を見やると「ハラダンス教室」という看板が目に入りました。
ああそうか、忘年会の余興のために腹踊りを教えてくれるところがあるのかあ、そういう慣習のある会社に入った人はたいへんだなあ、自腹切ってまで余興に備えなくちゃいけないのかあ、とそのあたりまで考えを巡らしたところで、「ハラダンス教室」と書いてある下に小さく「講師:原なにがし」と書かれてあるのがわかりました。
なんだ。「腹ダンス」じゃなくて「原ダンス」だったわけか。がっかり。オイラの想像をここまで掻き立てておきながらこんな裏切り方があるかい。
いや待てよ、そもそも読み違えにくい「原」という字をわざわざカタカナで表記したのが事の発端なのではないか。だいたい、名前をかなで書いていいのは選挙ポスターとアイドル歌手くらいのものではないの。どうして「原」を「ハラ」にしなくちゃいかんのか。
あ。そういえば。
わたしが中学生のころ、8月の6日だったか9日だったか、新聞を読んでいた母がいきなり大笑いしだしたので何事かと思うと、「いいからこれ見てよ。」
渡されたその新聞の見出しにはひらがなで大きく「はんかくさい」と書かれてあったのです。
こりゃもう大笑い。
ご説明いたしますと、「はんかくさい」とは津軽弁で”恥ずかしい”とか”みっともない”とかいう意味なんですね。この見出しを書いた記者さんはもちろんそんなこと知らなかったのでしょう。反核への思いをこめて、やわらかな雰囲気を狙ってのことだったのでしょうが、津軽者にとってはせっかくの「反核祭」の記事ががただもう可笑しくてしかたのないものになってしまったのです。
表現というものは時々送り手の意図しない形で受け取られてしまうものである、ということですね。
(1999.02.16)