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slip into chaos - 「生と死が創るもの」柳澤桂子著(草思社/ISBN 4-7942-0822-7)

”生命とは何か”という一見抽象的な疑問に、具体的に(科学的に)取り組むのが生命科学という分野で、その研究者の立場から一般向けに多くの本を書き続けてきた柳澤桂子さんが残したエッセイ集がこの本です。

自分が今生きているということは、自分のからだの中に生命誕生以来の36億年分の遺伝子が受け継がれているということ。これは新鮮な驚きでした。

受精の瞬間から進化の過程を辿って生き物が形作られるというのも不思議。生命への興味は尽きることがありません。

ただ、人類の発展に大きく貢献してきた”科学の進歩”の現状について、柳澤さんが懸念していることがあります。

科学や医療はあまりにも傲慢になってはいないか。技術の進歩に没頭するあまり情緒的なものを置き去りにしてはいないか。

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先日、日本で初めて脳死状態の患者からの臓器移植が実施され、連日このことが報道されていました。

報道のあり方や提供者・被提供者のプライバシー問題など、考える点はいろいろありますが、それ以前にもっと大事なことが忘れられているような気がします。

技術的に可能だからといってそれを実施するのはあまりにも短絡的ではないか。体の中に都合の悪い部分がある、だからそこを取り替えてしまおう。そういう考え方はとても危険なのではないか。「五体満足」でなければ「異常」だという考えはむしろ不健康なのではないか。こういったことについて十分な議論があったとは思えませんし、わたしたちの意識の持ち方もまだ成熟してはいません。

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1996年の秋、2週間ほど入院していたことがあります。

同室の患者さんは78歳〜87歳とみなさん高齢。家庭環境も症状もさまざまで、自分で身の回りのことができる人から一人では動くこともままならない人まで。

ある日、容体が悪化した患者さんのご家族が「先週までは一人で買い物に出かけるくらい元気だったのに。早く元の通りになって欲しい」と看護婦さんにもらしたとき、「年をとればからだにガタがくるのは当たり前、元気な頃に戻って欲しいという気持ちもわからなくはないけれど、今まで世話になった分これからは年寄りの世話をしていくのが若い者の努めなんですよ」と看護婦さんが応えた言葉がとても心に残りました。

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ある時期までは「成長」と呼ばれ歓迎されていたはずのことがいつの間にか「老い」という言葉で表されるようになり疎まれていく。「死」イコール一生の終り、肉体の消滅、というふうに個体の死について狭い視野でネガティブに捉えるとこういう考えになるのでしょう。ですが、長い間連綿と続いて来た生命のサイクルを思う時、当たり前に老いていく自分のからだはなんとも愛おしく感じられます。

生と死とそれが織りなすものについて、この本は多くの科学的事実と考えるきっかけを与えてくれました。

(1999.03.04)

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