■2002年8月1日(木曜日)
マンガ雑誌の裏表紙あたりでよく見かける講談社フェーマススクールズが第1回「くまちゃんイラストコンテスト」を開催。この”作品テーマ”の説明が。
くま (実在・架空は問いません)
なんだそりゃ。「このくまは実在するくまとは一切関係ありません」とか書かなきゃならんのだろうか。「うちの裏山に住んでいる五郎太とその家族です。今年はにわとりととうもろこしがやられました」とか。
また、このコンテストに入賞すると応募したイラストが来年のカレンダーになるという特典つき。来年はくま年か。
同時開催されている「どうぶつイラストコンテスト」にもやはり「どうぶつ(実在・架空は問いません)」とあるが、こうなると意味合いが違ってくるな。ユニコーンとか麒麟とか描いてもいいですよというふうに受け取れる。しかし。くまだぞ。
ちなみに応募方法はハガキのみ。でも住所や生年月日とともにEメールアドレスも書いて欲しいらしい。なんなんだ。
■2002年8月3日(土曜日)
NHK文化センター青山教室で吉増さんのお話の収録、今日が最終回。
斎藤茂吉、与謝野晶子、宮沢賢治という顔ぶれで、賢治以外は本人による自作の朗読テープをはさみつつのお話。既に発売されているテキストが元になってはいるが、読み進む内に吉増さんが新たな扉の存在に気付いて、それを叩いてみたり覗いてみたりちょっと開けてみたりと、大きなしゃもじで時空をぐるっとかき混ぜたような瞬間が時折訪れる。その場その場でなければ味わえない感覚、まさにライブだ。
吉増さんが辿る道筋を、わたしたちもまた一緒に歩いている。その道々で見つけたものを「ほら」と嬉しそうに差し出す吉増さんにわたしたちは「うわあ」と驚いたり頷いたり、その様子を見てまた吉増さんが新しいものに気付いたり。とても自然なのだけれど、とても贅沢な事だ。
収録の一番最後に、吉増さんは賢治の「雨ニモ負ケズ」を読んだ。わたしはこの詩が大嫌いなのだが、これはもともとはこういう題名はついていなかったと知り、少し認識が変わった。
そして、吉増さんの声。
それはとても意外だった、ひそやかに、おさえるように、目を伏せながら前を見据えるように、少し低いところで。
これはNHKラジオ第二放送で「詩をポケットに」と題した番組で放送されるので興味のある方は是非お聞き頂きたい。
収録を終えた後、みなさんで少しおしゃべりしましょう、と、吉増さんを囲んでのお茶会になった。
10人ほどの参加者はお一方を覗いて全て女性。ここでひとりずつ今回の講座の感想などを話していったのだが、なんとまあ、みなさん詩人だったり歌人だったり編集者だったりと、そうそうたる顔ぶれだったらしい。みなさん勉強熱心で真剣で着眼点も鋭くて、このところ何かにつけ怠けまくっている自分は激しく分不相応なところにいるのではないかという気がして冷や汗が出た。
ここで、ある方がおっしゃった「吹き流し」という言葉に吉増さんはひどく反応して、「俺は吹き流しかー」と何度も何度も繰り返しながら、ずーっと笑っていらした。そんな吉増さんを見ながら、ライブの打ち上げにファンが紛れ込むというのはこんな感じなのかも知れないな、などとしょうもない事を思ったりしていた。
吉増さんは、反応が返ってくるという事をとても大事にしていらして、その中から何かを見つけ出し、また新しい道を探り出そうとする。その様子を目の当たりに出来るのはとても嬉しくわくわくする事なのだが、どうもここ最近の怠け癖がたたっているようで、自分の中にストレートに入ってくるはずのいくつかの事柄が、入り口付近でぺしゃっと潰れてしまうのを何度か感じていた。ああもったいない、自分さえちゃんとしていればもっと能動的にこの場を楽しめるのに。
そんなこんなで、いろんな意味で勉強させて頂いた一日でありました。
■2002年8月8日(木曜日)
変だぞ今年のセミ。もう何回ぶつかった事か。大体、セミにぶつかるってどういう事よ。
セミってのは木の上の方にいてやかましく鳴き続け、虫捕り網でも近づこうもんならピッとおしっこ引っかけて飛んでっちゃうもんじゃなかったのか。
それが今年のセミときたら、弱々〜と低空飛行で飛んできて真っ正面から人にぶつかって「じっ」とか言ってまた弱々〜と飛んで行ったりそのまま地面に落っこちたりしている。2回や3回ではない。なんかどっかやばくないか。