■2008年2月1日(金曜日)
あらーもう2月ー。昨日、一昨日は最高気温が10℃を超えたけど風が冷たかったなー、今日もねー。
先月、吉増さんの講座があったので行ってきたんでした。gozoCine(ゴーゾーシネ)新作のお披露目だったんだけど、18作プラスアルファを撮り終えたところで一回りした感じなんですって。ふーむ。で、実際に見たら何となくその「一回り」というのが自分勝手に腑に落ちた感じがして、その事は講座のあとでお便りしたんだけど、そこで書けなかった事がひとつ。
gozoCineでは各作品の終わりに吉増さんが誰に言うともなく「ありがとうございました…」とおっしゃる事が多々あるのだけれども、それがどうも「でこぼこフレンズ」みたいでなあ…。
*
♪でっこぼっこふれーんず♪
(カチャ)
(右手にOHPフィルムとデジタルビデオカメラ、左手に貝殻つきのピンチハンガーと紙袋、口にペンライトとサヌカイトをぶら下げたヨシマスさん登場、BGMにJohn Cage"String Quartet in 4 Parts:III. Nearly Stationary"、白いシャツに黒いジャケットといういでたちである)
「こんにちは…ヨシマスです…」
(ひたひたひた)
「まあ…今日はね…どうしましょう…」
(紙袋から本を取り出しておもむろに開く)
「古代天文台に雪ぃーふりぃーつもりっ」
(暫し沈黙)
「…ありがとうございましたー…」
(ひたひたひた)
(パタン)
*
すみません。
■2008年2月4日(月曜日)
新宿モザイク通りをへもへも歩いていたら声をかけられた。50代くらいのご婦人である。
「あの〜、わたくし占いの勉強をしているんですけど、よろしかったら手相を拝見させて頂けませんか〜?」
ふははは。なかなか愉快なお申し出だったが丁重にお断りすると、
「あら〜、とてもいいお顔をしてらっしゃるのでお手を拝見したかったんですけれどもね〜」
この時オイラはメガネにマスクに帽子にマフラーを着用しており人相は殆ど判らなかったはずなのだが、どうやらこの溢れんばかりの品格とかすんばらしい人間性とかが漏れ出てしまっていたようだな。ふははははは。罪な事しちゃったなー。ふははははははは。
アクセス解析だより。
検索結果画面を見るからにお探しの情報とはちょっと違ったんじゃないかなと推察しますが、それでもリンクをクリックしてこちらにおいでになった…お疲れさまでございました。
■2008年2月13日(木曜日)
随分日が長くなったなあ。17時半くらいでも明るいもんね。
でも、ここんとこお天気が定まらない。日曜にもさもさ雪が降り積って火曜にやっと溶けたと思ったら水曜また冷えて一日小雪、木金晴れてやれやれと思ってたら土曜日にまた雪。昨日は寒い雨だったけど今日は晴れてたくせにすっげー風が強くてめちゃめちゃ寒かった。昨今の株価並に乱高下しとるな。前に天気がおかしくなった時、この天気は初心者じゃないのかと思ったもんだけど、こりゃどうもペーペーじゃなくて仕事にあきあきしてるベテランの仕業のような気が。
「へっ。なーにが地球温暖化だよ。こちとら毎日毎日あくせく働いてるってのによ。だったらアレか、冬なんだから冬らしくがっつり寒くなりゃ文句ねえんだろ? ほらよ、雪だよ雪。うんと降らしてやったぜ。満足だろが。これで温暖化なんか吹き飛ぶってもんよ。ああ? 交通機関がマヒだあ? 知るかそんなもん。おてんと様のやる事にがたがた言うんじゃねえっつの」
みたいな。
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甥が2歳になりました。言葉はまだ宇宙語だけど、性格や嗜好は非常にはっきりしていて、今んとこ完全に電車(きかんしゃトーマス)にはまってます。クリスマスにサンタさんがプラレールのトーマスセットをプレゼントしてくれたんだけど、動かして遊ぶのかと思ったら車両を手に持って下から見上げたり床において自分が寝ころんでいろんな角度から見たり。その時の表情がそりゃもう絵に描いたようなうっとりで、このまま大きくなって立派な鉄ちゃんになったらどうしようと若干不安に。いや、いいんだけどね、夢中になれるものがあるってのはいいことよ。うん。多分。程度によるけど。
そして彼のもう一つのお気に入りは何を隠そうこのオイラだったりする。ほほほほ。遊びに行った日の夜は寝言でオイラの名前を呼んでるっつーから参るよなあ、いやははは。何せ久し振りに会うと照れてまともに顔も見られなくてうりうりしてるんだからなー。おませさんだぜ。可愛いぜ。片や姪の方はと言うと、こまっしゃくれ街道ばく進中。鏡の前で服やアクセサリーをとっかえひっかえしては様々なポーズを決めてこれまたうっとりしてるそうな。うーん。誰に似たんだろう。謎だ。でもまあ、これはこれですこやかに真っ直ぐ育って行ってるって事なんだろうけどな。数字のお勉強を始めると頭が痛くなっても、きっと大きくなれるよ。うん。多分。
■2008年2月18日(月曜日)
昨日の東京マラソンの模様をテレビで見る。物凄い量の人だがこれで3万人。うーん。コミケは3日間で50万人を超えるから、それがいかに尋常でない人数なのかという事をしみじみ思う。その尋常でない人数を捌くコミケスタッフも凄いよな。
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14日の夜、メールチェックしたら「モリタポギフトのお知らせ」が。全く身に覚えがなかったので訝しみつつチェックしてみると、「第2回800字バトル入選の賞タポ」とある。わあ。すっかり忘れとった。テキスポという、2ch系のウェブ出版サイトで、3つのお題に沿った800字の小説を書くというイベントがあって、それに参加していたのだった。そういえば14日が発表だった。
いやしかし入選するとは。おまけにコメントまで寄せられていて本当にありがたい。このところ就職活動が連戦連敗でかなり凹んでいただけにこれは素直に嬉しかった。もう、自分は誰にも必要とされていないんだと激しく落ち込んでたし、まともに人と話してもいなかったからなあ。それもこれも自分に起因する事だからしゃーないが。
ともあれ、これでちょっと救われた気持ちになった。なんでもやってみるもんだ。
■2008年2月24日(日曜日)
イベントづくしの週末。
一昨日と昨日は世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」。新聞で紹介記事を見て「へー」と思って申し込んでみた。「災害と文化」というテーマが独特だし、二日目に上映される映画「そして人生はつづく」を見てみたかったので。他にも面白そうな企画は色々あったんだけど、プログラムは一日を午前・午後・夜に分けていてそれぞれに参加料が1000円かかる。通し券などはなし。うーん。と考えて、ふたつだけ選んだ。
なぜ「災害」と「文化」をテーマにするのか?
◆ 世界各地で多発する自然災害
スマトラ沖の地震と津波、米国南部を襲ったハリケーン、パキスタン北部の地震、ヨーロッパ中北部の炎暑、フィリピンの地滑り、そして日本で頻発する地震と噴火、豪雨と豪雪。世界のいたるところで人間は自然災害に翻弄され、生命を失い、傷つき、家族や友人を亡くしている。近年、自然災害は戦争にもまして多くの人命を奪い、都市や街を崩壊させている。
◆ 災害が露出させる人間と社会の深層
こうした自然の猛威のさなか、めざましい生命力を発揮する人間がいる。身に降りかかる危険を顧みず、隣人の救助に飛び込んでいく人間がいる。打ちのめされながら、立ち直っていく人間がいる。怯え、立ちすくむ人間がいる一方で、狡猜に立ち回る人間もいるだろう。どれも災害が剥き出しにする人間の姿である。あるいは災害は、地域と社会の表層をはぎ取って、そこに蓄えられてきた優しさと非情さの両方を露出させる。ある地域は傷ついた人間たちを慰め、ある社会は人々に襲いかかって、いっそうの傷を負わせるかもしれない。これもまた自然災害が明らかにする、無視できない側面である。
◆ 文学は、映画や音楽や演劇はこの現実をどう表現したか
ここにはニュースや情報としてだけではなく、自然と人間と社会が軋み、共振し、作用しあう作品世界として、表現されるべき現実がある。文学は、こうした災害と人間の諸相をどう描いてきたか。音楽や芝居、映画やテレビは災害とそのなかの人間とどう向き合い、何を表現してきただろうか。しかし、ここで私たちは意外なことに気づかないわけにはいかない。災害を描いた作品は古今東西、けっして少なくはないが、その書き手や作り手が集い、それぞれの経験とそこから得た思考を語り合う機会は、なぜか一度もなかったのである。
◆ これは「災害と文化」をテーマにした、世界最初の国際フォーラムである
世界各地の災害の現場を直視して書かれ、制作された作品を一堂にあつめてみること。これらの作品にじかに触れながら、その作家や制作者らがともに考え、語り合うこと。そして、日本のさまざまな分野で活躍する作家、表現者と市民が、その議論に加わり、自然と人間と社会のかかわりのあらたな展望を切り開いていくこと。ここに、世界で初めて文化的表現と災害が出会う、国際フォーラム「災害と文化」の狙いがある。
初日、開会式+基調講演+俳句・短歌「阪神大震災を詠む」。会場の新宿・全労済ホールは初めて行ったけどこれはなかなかいい場所だなあ。定員は500くらいだろうか、ほぼ満席だったのでは。開演ベルならぬチャイムがちゃかぽこと流れて、舞台下手からおもむろに男女が出てきて男性がいきなりしゃべり出した。中村敦夫さんに似てるなあ、声もそっくりだなあと思ったらご本人だった。あらびっくり。木枯し紋次郎が世界P.E.N.フォーラムの司会をしているよっつうんじゃなく、その収まり方みたいなもんが、ちょっと意外だった。議員さんでも俳優さんでもキャスターでもない佇まいで、なんだかぴしっとしたスーツ姿で、ちょっとした企業の役員か何かみたいなんですもん。その中村さん、ご自分がこのフォーラムの司会であるということにも触れず自己紹介もなさらずにずっと色々お話になっていたので頭に疑問符を抱えたまんまでしばし過ごしたのでした。
開会式では日本ペンクラブ会長の阿刀田高さんや国際ペン事務局長のユージーン・ショールギンさん他のお話。阿刀田さん、あんまり変わらないなあ。オイラが初めて阿刀田さんの作品に触れたのはワニの豆本、小学生の頃だ。怖くてエロスな短編に楢喜八さんのイラストが忘れられない。それから母が読んでたオール読物や小説現代なんかの小説誌でも読んだりして(多分)、気が付いたら直木賞を受賞されてたんだった。いまや日本ペンクラブ会長かー。母が生きてたら感慨深いだろうなあ、って事はないのか、生きてれば。閑話休題。
ショールギンさんのお話ではちょっとびっくりする事があった。冒頭でお詫びをとおっしゃって(英語の同時通訳さんがついてました)、「災害と文化」というテーマだと聞いていたが(ショールギンさんの暮らす)スカンジナビアには天災がないので災害イコール人災と解釈してしまったため講演の原稿が本来のテーマとは少し違うかも知れませんがご勘弁を、といったような事で。って、スカンジナビアに天災がないってそりゃどんなんですか。地震とか台風とかないのかな。大雨、大雪、色々ありそうなもんだが。もっと狭義の意味かしら。って、狭義の災害ってどんなだ。わからん。わからんですショールギンさん。
基調講演は大江健三郎さん。この講演はそのうちどこかで文字起こしされるんじゃないかしら、されないかしら、して欲しいわ、でも一番いいのは動画の配信だわ。なんつーかもう、全身これ作家というか、強烈だったなあ、発せられる言葉も声も抑揚もテンポもリズムも。前にオイラの詩が雑誌「midnight press」の投稿欄に載った時、選者の川崎洋さんがその作品を評して「曽我方言」とおっしゃったけれども、大江さんときたら存在そのものが方言だ。大江健三郎という言語だ。全然押しつけがましくないのに圧倒される、そんな感じの、もう根源的に持ってるものが違うというか、人ってこんなふうに自分を形作る事ができるんだなあという感嘆だなこりゃ。そんなものを感じました。広島や沖縄や息子さんの事などを災害と結びつけ、人はどんな災害に遭遇してもカイフクできる生き物だとおっしゃった。大江さんの著作に倣えば「恢復」なのかな。そして、印象に残ったのが、自分は四国の森の中の村で育ったが雨が降ると近くの川が増水してきて暗い寝床の中でその水音を聞いていたので、自分は文章がまずいとよく言われるのは多分にその水音のせいなのであって自分が悪いわけではない、と。おおー。水音かあ。暗い寝床の中で子供が聞いているその耳ですって吉増さん(いや、吉増さんがしきりに泉鏡花や折口信夫の耳、聞いている水音の事をおっしゃっていたので、つい)。やっぱり、こうして直接お話を聞くのは面白いなあ。もっと大江さんの著作を読んでみたくなりましたよ。
その後、俳句・短歌「阪神大震災を詠む」。
阪神淡路大震災から13年。あのときも、あれからも、人々はその体験と記憶と心情をたくさんの俳句と短歌に刻んだ。どれもニュースや記事ではないが、そこからこぼれ落ちた作品のうちにこそ、体験と記憶の「核」がある。表現の本質がある。俳句12句を下重暁子が、短歌12首を加賀美幸子が読み、選者のコメントを交えながら語り合う。
阪神淡路大震災をテーマにした歌集や句集はたくさんあるのだそうで、そういったものなどから俵万智さんと黒田杏子さんが選んだ句と歌が披露され、色々なお話が展開された。加賀美幸子さんはNHKを定年退職されてたんだなあ、気が付かなかった。
にしても、このプログラムを見た時からあちゃーと思ってたんだが、俵さんと他のお三方との年齢差がなあ。下重暁子さんについてはよく存じあげないのだけれど、伊勢湾台風の経験談が出てきた時には驚いた。生活にハリのある女性は本当にお若く見えます。男性もそうだけどね。
ここで詠まれた俳句と短歌はどれも大変なものだったけれども、ここでもやはり感じられたのは、人間というのはどんな困難に遭っても立ち上がる事ができる、という事。まさにこのフォーラムの掲げる「叫ぶ、生きる、生きなおす」というフレーズが凝縮されて示されたような時間空間だった。
「ほう」と思ったのは、俳句や短歌が持つ短詩型という形式の特殊さについてのお話。新聞にこのような短詩型の文芸投稿欄がコンスタントに設けられているのは日本だけなんだそうだ。そうかあ。これって結構凄い事かも知れないねえ。文化だよねえ。俳句と短歌だけでなく川柳や狂歌もあり、この定型の力、それを無意識(かどうかはともかく)のうちに体に馴染ませてふっとした機会に言いたい事を言っちゃうってのは案外凄いのかも。生きるか死ぬかという目に遭ってなお歌う、歌える、歌ってしまうという、人の弱さと強さよ。ねえ。
二日目はアッバス・キアロスタミ監督の映画「そして人生はつづく」。
1990年、イラン北部で大地震が起きた。3年前の「友だちの家はどこ?」の撮影地も被災した。監督は息子を連れ、映画に登場した人たちを訪ねる。瓦解した町、崩れた家を片づける人々、建物や岩に押し潰された車。2人は旧知の老人や少年たちと会いながら、被災地をめぐる。暮らしと人の営みを、災害のなかで描く。
「友だちの家はどこ?」は未見という不勉強のままで見てしまったけど、これまた大変な映画であった。上映前に監督からのメッセージが読み上げられたのだけれど、その中で、この作品において自分は監督ではなく作家だった、というような事が述べられていて、それは実際に映画を見て、なんとなく、ああ、と思うところがあった。けど、それが何だったか忘れてしまった。見ている間に言語化したような気がするんだけどな。
スクリーンに映し出される広大な風景、方々が傷ついて果てしなく広く、亀裂の入った断崖や崩れた家、岩に押しつぶされた車を傍らに見ながら渋滞で進まない車の列、泉の水で皿洗いをする少女達、洗濯をする女。映画なのだからそこに映し出されているのはカメラが捉えた角度であり一部分であると解ってはいるのだけど、ここで凄まじい地震があって多くのものが失われたという事は間違いなくて、でも見ているうちに、どこが作り事でどこがそうでないかなどというのはどうでもよくなって、このスクリーンの中で生きている人々はただもう生きているんだな、意味なんて求めず毎日を送る事が生きるという事なのかなと、そんな風に感じていた。そう、何事にも意味を求めてしまったら辛くなっちゃう。多分、生きる事に意味はない、意味なんてなくても人は生きる。どんなところでも、どんな時でも。そして人生はつづく。大したタイトルだなあ。
そして今日。秋葉原のとらのあな本館にて小野敏洋先生&上連雀三平先生合同サイン会(注:18歳未満閲覧禁止。小野センセは一般マンガ家ですが上連雀センセは成人向けマンガ家です)。うきょきょきょきょ。「合同サイン会」てなんじゃい!と、知ってる人なら誰もがツッコミを入れるこの企画、その真相を確かめるべく参加して参りましたのよ。
折しもなんじゃこらと言いたくなる程の暴風、あちゃこちゃの電車が運転見合せというニュースが流れまくっていたのでおっかなびっくり家を出て会場に着いたのが13時55分、既に10人くらい並んでいるけど思ったより多くはないな、指示された通りに列に並んで前方を見やると…うわあ、テーブルに「小野敏洋先生」と「上連雀三平先生」のプレートが。椅子もちゃんと二つあるよー。もうおかしくておかしくて仕方ない。と、係の人から冊子を手渡される。うわあああ、なんか表紙カラーのコピー誌なんですけどもっ。売り物じゃないんですか頂いちゃっていいんですか描き下ろしじゃないですかこれっ。題して「サイン会のしおり」。もうね、こんなサプライズがあるなんて、嬉しいやら有り難いやら、もったいない事でございます…はー、参加してよかったなあ…しみじみ。
今回のサイン会は小野センセの新刊と上連雀センセの新刊を両方買った人が対象で、その両方にサインして貰えるばかりか何をリクエストしてもいいのだという。「但し、その通り描いて貰えるかどうかはわかりませんがー」とお店の人。あははは。でも、それじゃあ誰を描いて貰おうかなー、あの子もいいけどこの子もいいなあ…と夢が膨らむ事しばし。んで、14時を過ぎたところで出版社の担当さんとおぼしき人達が続々登場、と、肝心のご本人方がおいでにならない。と、「どうもお店の中をうろついてるようなので今から呼び出します」と担当さん、ケータイで「早く来てくださーい」。なんじゃそりゃ。しばらくして「いやいやいやいや」とお二人が登場…うはー、ホントに二人出てきたー。小野センセと、みかん箱ダンボールを被った自画像まんまの上連雀センセ。あっはっはー。ちゃんと綿入れはんてん着てるー。で、上連雀センセは廃業宣言して(?)絵が描けないため上連雀センセの分も小野センセが描いて下さると。ほほ。
かくして始まったサイン会、一冊一冊にとっても丁寧に絵を描かれてお話も弾んだりして、なんか即売会みたいです。参加のみなさんは激戦を勝ち抜いた猛者だけあって、お話がどれもディープ…だもんで一人にかかる時間がえらいことになってて、途中、「強風の影響で新幹線の時間がアレな方がいらっしゃるのでそういう方は順番を繰り上げます」とアナウンス。うはー、大変だなあ、っつか、熱心な読者さんだなー。でも合同サイン会なんて又とない企画だもんね。
で、オイラはセンセの自画像とピカチュウを描いて頂きました。このピカチュウがもうねっ。すんごい可愛くてエロスでやんのっ。「ピッカぁ?」って言ってますっ。家宝だ…。センセに「何がキッカケでしたー?」と聞かれたので電撃ピカチュウですと。あのエロさはいかんですと。そしたら、「んー、あのくらい普通でしょー」と。「上連雀作品も読んでるんですか? どれが好きです?」と聞かれて(作家さんからこんなに色々聞かれようとは思わなんだ)、あれとかこれとかー、みんな楽しいので好きですと。すると、「あー、楽しいって言って貰えるとねー。狂ってるとか言われちゃうからねー」って。まあ、作品が作品だけに(気になる方は自己責任で調べて下さい)「狂ってる」というのもある意味ほめ言葉みたいなものなんだろうけど、真面目に否定する人もいるだろうしなあ。でも、エロマンガはファンタジーだからね。ファンタジーが許されなくなったらアンタそりゃ恐ろしいことでっせ。って思うわあ。…ああ、でもその場では何も気の利いた事言えませんでした…なんか、何言っても嘘くさくなるような気がしたんですー。ってここで言っても。
そんなこんなで「ありがとうございました」とその場を立ち去ったのが15時半。うわああ。こりゃ、最後の人が終わるまでどんだけかかるか…でも、途中から手を抜いたりするような事はないと思うんだよなー。そんな気がする。
あ、上連雀センセからも封筒とチラシを頂いたんですが(無言でしっかり手渡された)、封筒には手描きイラスト、その中にはポストカードが三枚も。うはあ。チラシももちろん描き下ろしで、冊子の表紙と合わせ技でとっても嬉しゅうございます…ああああ、生きててよかったあ…そして人生はつづく。ええもう。