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slip into chaos - 日々録(2009年2月)

2009年2月11日(水曜日)

安売りで買ったインスタントコーヒーがあんまりおいしくなくてちょっとしょんぼり。いや、おいしくないわけではないんだろう、オイラの好みではないの。そのまま飲むのは面白くないので、ちょうどおやつ箱の底に眠っていた(うちには菓子専用のおやつ箱があってこの中に菓子がある間は追加菓子を買わないように心がけている。心がけてはいる)古い黒砂糖を砕いてぽちゃんぽちゃんと入れてやるとじびずびじぶと細かいあぶくを出して溶けてくれた。甘くするとなんでもうまく感じるのはいい事だ。いい事か?

で、その甘いコーヒーを啜りつつウェブを徘徊しているとこんな記事が。

朝日で存在感増すホームレス歌人−JanJanニュース

 朝日新聞紙上に毎週載る読者投稿の短歌欄「朝日歌壇」で、ホームレス歌人「公田耕一」氏が脚光を浴びている。昨年末から登場し、毎週のようにホームレス生活を詠った作品が載る。最近は公田氏がらみの作品も登場し始めた。自らの身を公田氏に重ね合わせたものが多く、アマチュア歌人らの衝撃や共感の深さを映しているようだ。

(中略)

 短歌欄など興味のない多くの人が読み飛ばしてしまうだろうが、短歌もまたはっきりと時代を映しているのだ。

…物は言いようとはよく言ったもんで、世相丸出しであれば「時代を反映している」、そうでないものは「世を超えた普遍性」とかなんとか。もういい加減、そういうお決まり文句から抜け出してくれんか。ってJanJanに言ってもな。

更に、この記事についていたコメントなのだが、

この殺伐とした時期に何か心の温まる記事を読んで、ほのぼのと
した気持ちにさせられました。

コーヒー噴いた。ほのぼのて。言うに事欠いてほのぼのて。何がどうすりゃ心が温まるんだ。…なんつーか、ホームレス短歌の存在よりもこの感想の方が時代を象徴してるような気がしてがっくりきちまったが、逆にこんな事でへこたれてなんかいられないわという気もする(かなりのっぴきならない状況ではあるのだが)。こういうすっとこどっこいの頭を揺らすような創作を、欲しているのかしらね。それにしても世間のこの想像力のなさはどうにかならんか。

また、このコメント中にある、

そういえば、どこだったかは忘れたが、ある地方でホームレスが
バンドを組んでいるのとかは聞いたことがある。

これ、ビッグイシュー基金が支援しているOHBB(大阪ホームレスビッグバンド)の事ですかね。「ホームレスもバンドやるなんてほのぼのするわねー、結構エンジョイしてるのねー」的な認識でいるとするならとんでもない事だと思うのよ(ビッグイシューの販売者はホームレス状態から抜け出す事が目標)。どこから情報を仕入れたか知らんが、こういう、断片的な情報だけで満足しちまうようなお手軽精神もなんとかならんもんか。もっと疑えよ。その足元を。頼むから。

2009年2月21日(土曜日)

へろへろ会見で辞任した中川昭一財務・金融担当相ですが、風邪薬をたくさんのんだのが原因とのご本人の弁に対してニュースキャスターやコメンテーターが「そんな人は見た事がありませんねえ」と口を揃えて言ってるのが気になりました。そういう人もいるんですもん、たとえばうちの母。

母は酒飲みでしたが薬にはめっぽう弱く、風邪薬や頭痛薬は用量の半分を飲んだり小児薬を使ったりしていましたがそれでもしばらくするとへろへろになり通常の生活ができない状態。そういう人は自分の体質をわかってますから薬と酒を一緒に入れるなんてことは絶対にしませんし、何か大事な事がある時は辛くても薬を飲むのは控えてました。って、そんなん当たり前だよな。

中川さんがどういう体質か、どんくらいの薬と酒を飲んでああなったのかは知りませんが、その言い訳として薬のことなんて持ち出されると実際にそういう体質の人はいい迷惑だと思うのよ。でもって、へろへろ失態そのものは責められてもしょうがないとは思うけど、「そんな人は見た事がありませんねえ」で切り捨てるのもどうかと思うんだわ。ごく少数派だから理解はされにくいんだろうけどね。

少数派…そういや振り返ってみればうちってつくづく少数派よね。

両親の離婚、母子家庭、母親と違う姓、異父兄弟、登校拒否、自律神経失調症、抑うつ神経症、休職復職コンボ、中途退職、多重債務、派遣切り。その時代時代でよく見聞きする事象ではあるけどその当事者ってのは確実に少数派なんだよな。なんかもうオイラってばグレートマイノリティって感じ?(なんだそりゃ)

時代の象徴ってのは常に時代の少数派だよなあ。今だって、いくら不況不況とは言っても殆どの人は職があって安定した収入を得ていられて寝食に困ってはいないわけで、だからこそ少数派の訴えにも「そんな人は見た事がありませんねえ」って感じで共感もしなければその実態に触れようともしない。それが世の中ってもんか。うへえ。

せめて想像しましょうよ。「そういう人もいるのかな」くらいでもいいからさ。「嘘くせー」と思うならちゃんと疑えばいい。マザーテレサによれば、愛の反対は憎しみではなく無関心だそうだが、まさに今一番怖いのは無関心だわ。自分の知らない世界に足を踏み出すのはそんなに怖いんかな。でもそうやって無関心を装っているうちにいずれ本当に何事にも関心を持てなくなったら、って考えるとぞっとするぞ。無関心、すなわち愛のない世界。そんなんいやだ。

2009年2月22日(日曜日)

お誕生日にその人に会って「おめでとうございます」が言えるのはしあわせだなあ…

というわけで、吉増剛造さん70歳のお誕生日に東京青山ブックセンター本店でのイベントに行って参りました。題して、吉増剛造『キセキ――gozoCine』刊行記念トークショー 一冊の書物としての『キセキ――gozoCine』上梓の春、きさらぎ(二月)に。今日はそのvol.1ということで八角聡仁さんが司会でゲストに中沢新一さんを迎えて。

いやー面白かったわあ。中沢さんと波長が合うのかねー吉増さん。すんげー嬉しそうに楽しそうにお話ししておいででした。話がはずんで、「なんか『ひょうきん族』みたいになってきたなあ」と中沢さんが言ったかと思えば「僕、『ひょうきん族』なんて知らないもーん」と吉増さんが言ったり。なんだこの会話。なんつーか、話の通じる人が相手だとちゃんと話を聞いてるんだな吉増さんは。通じるっつーか分かるっつーか。お互いを「天才」と呼び合ってケラケラ笑ったりな。さすが天才同士、余りにも密度の濃いお話でこちらの頭はあっぷっぷ…でも、中沢さんから提示された柿本人麻呂とか葬儀儀礼(?)・パリ・水・鈴の振り方(アンクレット)等々…「プール平」の冒頭で台風の天気予報が映り込んでるとかもね、実に象徴的でありつつ納得のいく示唆でね、面白かったわ。

面白かったといえば今日の吉増さん、中沢さんの本が手元になくて「学生から借りてきた」と仰りつつ、当たり前のように言ったのが「これ、線引いてあるんだけどさ…線引いてる本て読みにくいのねー。」…ああ、吉増さんにはご自分で引いた膨大な量の線はお目に入っていないのか…いや、自分のタバコの煙は気になんないけど他人のはヤダみたいなそんな感じなのかしらん。一連の映像作品とそのセルフツッコミを聞いてるうちに、吉増さんにはかなりのものがかなりの勢いで見えてないし聞こえてないというのがうっすらわかってきたけれども(そのかわりに全然違うものを見て聞いているようだ)、まだまだだなあ。まだまだ面白いです、吉増さん。

イベントが終わって控室に引っ込まれる前にちょこっとつかまえて「お誕生日おめでとうございます」と言って贈り物を手渡したら「エヘヘヘ」とオードリー春日ばりに笑われたので(春日的な気持ち悪さはないけど。好きだけどね春日さん)つられてこちらも「エヘヘヘ」。お誕生日イベントだから、本屋さんの方から花束とかあるかと思ってたらなかったわねえ…みなさんもっと控えめに上品にお祝いされてるのかしら。ああオイラってばハシタナイ。でもいいの。これからラブレター書いちゃおーエヘヘヘ。

吉増さん、お誕生日おめでとうございます。

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