会社の健保の広報誌に音楽がもたらす癒し効果についてこんなことが書かれてあった。気分に合った音楽を聞くことが精神にとっては良く、落ち込んでいる時に明るい曲を聞くのは逆効果で、沈んでいるときには静かな曲・暗い曲を聞く方がいいのだそうだ。
わたしは元々音楽に何かを求めて聞いているわけではないので、ラジオなんかで「落ち込んだ時にはこの曲を聞いて自分を励ましています」なんて投書があったりすると「うえ〜」と思っていたものである。
人が落ち込んでいると気をつかって色々してくれる人もいるが、そういう時には黙って落ち込んでいる方がよいので「ほっといて下さい」と言うと「人がわざわざ声かけてやってるのに」なんて言われてますます気が滅入ったりもする。四六時中笑っていなければいけないという法もなかろう。こういうときは自然に気分が上向きになるのを待つのがよい。
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「これからも頑張って下さい」というお便りをもらうことがあるが、この「頑張る」というのが曲者である。頑張れと言われても何を頑張ればいいやら。こちらは好きでやってることなので、特別頑張らなきゃいかんということもないわけで、そういうご意見は受け流すしかない。
(ホームページ管理者の方からの「お互い頑張りましょうね」というのはちょっと違う。自分が好きなページの管理者さんからこういうことを言われると励みになるが、何がやりたいのかサッパリ分からないページとかいつも日記でグチばっかりこぼしてるような人からこんなこと言われても「勝手にやれば」という気分になる)
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元々「頑張れ」というのは無責任な言葉で、教職の授業の中では度々「子供に”頑張れ”なんて言うような”応援団教師”にだけはなるな」と言われた。
「頑張ればなんとかなる」という考え方も嫌いだ。この場合の「頑張る」は「甘える」と同じ意味である。特に仕事で「頑張ったんですけどできなかったんです」なんて言い訳をする人がいるが、個人の事情を説明されても仕方がない。仕事というのはできてなんぼの世界であって、できないのなら最初から「できません」と言ってもらった方が時間も手間もかからない。「いつも頑張っているのに上司が認めてくれない」というのも結果が出ていないからで、同じ仕事をするのに1日かかる人と3日かかる人では1日で終わらせる人の方が評価は高くなるのは当たり前のことである。それを「3日もかかってやったのに」なんて恨まれるんではたまったものではない。できないならやるだけ時間と金の無駄、それが会社の考え方である。
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「頑張れ」という言葉は、ある目標に向かっていてそれがもうすぐ達成されるという時点でなら有効だろうと思う。しかし、そうでない場合の「頑張れ」は社交辞令にもならない。特別言うことがないなら黙ってりゃいい。
「才能がある人は羨ましいです。これからも頑張って下さい」これほど腹の立つお便りもない。何を言ってるんだか。こっちが何の苦労もしないで物を作ってるとでも思うのか? 甘く見んなよ。才能なんて言葉くそくらえだ。もっとも、こういう浅い感想しか引き出せない作品を作ってしまった自分への反省というのはある。そしてまた次の創作へと向かうことになる。
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わたしは早い内に「世の中にはいくら頑張ったところでどうにもならない事がある」という事を身をもって学んだので「頑張る」というのが大事な事だとも思わない。それにまじめな人ほど「頑張れ」と言われるとそれがプレッシャーになって果ては病気になったりもするので気をつかわねばならない。疲れたら休むのがいいのである。頑張ってはいけないのだ。
(1999.09.15)