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slip into chaos - 『「死の医学」への日記』柳田邦男著(新潮文庫/ISBN4-10-124915-6)

人はいずれ死ぬものです。多くの場合、死というものは望まれないものとして語られますが、すべての人にいずれその時は訪れる。医療の立場からは敗北と見做されてしまいがちな死というものについて、「生の完成形」として取り組もうとした人たちのドキュメントがここには描かれています。

癌という病気は特殊な病気ではなくなりましたが、依然として日本人の死亡原因の上位にあります。早期に発見できれば完治することも可能でありながら、末期にまで進行してしまうと患者の年齢や体力に関係なく命を奪う事になるこの病。それでも、死を迎えるまでにある程度の時間的余裕がある。ここで、ただ死を待つのではなく、自分が生きた時間の締めくくりとして何かを残したい、せめて悔いを残さずに人生を完成させたい。そのためには周囲の協力、とりわけ家族と医療者の理解が必要になってきます。告知をするかしないか。延命治療をするかしないか。在宅で闘病する場合の体制は整えられるか。様々な問題があります。

残された時間を自分自身の為に生き、それまでの人生を振り返り、家族の将来を思い、周囲への感謝を感じる、そういう最期を誰もが迎えることが出来るような社会であって欲しい、そういう考え方が広まって欲しいと思います。その時に家族がどうあるべきかといったことも含めて。

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義父は38歳で亡くなりました。胃癌でした。市販の薬で痛みをごまかしごまかししていた義父が母の再三の説得に負けて病院の診察を受けたのはわたしが高校3年の6月の時のこと、ひとり呼び出された母が聞かされた診断は胃癌の末期で、もってあと半年。この時、妹は小学校1年、弟は3歳でした。本人への告知はないまま即入院し、手術は受けたものの手の施しようがなく開腹してすぐ閉じてしまったと聞きました。その後退院し職場にも復帰しましたがほどなく再入院。見舞いに行く度痩せていく義父、癌であることを悟らせまいと義父の前では明るく振る舞い看病に疲れ果てていく母。年が明けて正月の末、激痛に苦しみぬいた義父の顔は安らかでした。

もし義父に病名・病状が告知されていたなら、と今でも考えます。精神的にタフな人かどうかは分からないけれど、これだけの若さで、小さい子供を残してただ死んで行かなければならなかった義父はただ無念の一言ではなかったか。少なくとも、母が味わったあの苦悩は違う形で救う事が出来たのではなかったか。

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母が亡くなったのはそれから6年後。いつも朝早く起きる母がその日に限っていつまでも眠ったまま起きず、不信に思った祖母が救急車を呼んだのでした。その頃離れて暮らしていたわたしのところには「酔っぱらってるのかも」と妹が電話してきましたが、病院に付き添った叔父から受けた次の電話では「病名はくも膜下出血、二度に渡って出血があったらしく半身不随はまぬがれない」という言葉が。手術が終わり、担当の医師から説明を受けてもまだ人ごとのようでピンときませんでしたが、集中治療室で包帯に巻かれ鼻や口に管を通された母の姿を見て「もうこれはお母さんじゃない」と思った途端にわたしはその場からあとずさっていました。2日後には「いわゆる脳死という状態です」と宣告され、そのまま延命治療を続けていましたが、5日後に息を引き取りました。

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柳田邦男さんの別の著作「犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日」では、自死を図り脳死に陥った柳田さんの次男・洋二郎さんに話しかけるご家族の姿が語られます。看護に当たった看護婦さんからも「お声をかけてあげて下さいね」という場面も。医学的には意味がなくても話しかける事で色々な数値に変化が起きたり、何よりも語りかける事で自分自身の気持ちを確認することができる。

母が倒れたとき、わたしは多分一言も話しかける事はしなかったように記憶しています、人工呼吸器に支えられて呼吸を続ける母の顔を見ては絶望的な気持ちになっていました。母が亡くなった後も「しっかりしなければ」と自分に言い聞かせ、周りも皆「あんたがいればチビさんたちも大丈夫よね」という感じで甘えさせてはくれなかったので、わたしが泣いたのは親友の前でだけでした。このことが尾を引いて、わたしはいつまでも母の死から立ち直ることができずに、仕事も中途半端で毎日をぼんやりと送ってきたのです。

あの時、眠る母に話しかけることができたら、母が亡くなった悲しみを隠さずに表現する事ができたら、今とは違う自分がいたでしょう。心の中ではたくさんのことを思っていましたが、それを口に出すのはまた別なことなのです。

それでも、今こうして書くこと語ることを通してわたしのグリーフ・ワークは始まりました、長い長い道のりの出発点にようやく立ったところ。

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癌やくも膜下出血に限らず、多くの人が様々な病気に苦しんでいます。それを「かわいそう」の一言で片づけ自分のテリトリーから遠ざけようとせずに、家族や恋人など周囲の人との関係の中で自分に何が出来るか、自分にその時が訪れたら周りにどうして欲しいのかなど、「生の完成としての死」について考えてもらいたいと思います。

(1999.10.10)

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