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slip into chaos - 日々録(2006年3月)

2006年3月1日(水曜日)

春は出会いと別れの季節。思いがけない出会いに心踊らせたり、突然の別れに身を裂かれる思いを味わったり…色々ありますわなあ。

*

久しぶりに「べろべろもこもこ」で作品を出します。

3月19日(日)のHARU COMIC CITY 11にて、余所様のスペースに委託させて頂く予定です。内容は前作「狂気 無知 あるいは」「取り消されたアクション」「Rise above yourself.」の続編になりますが、初めてお読み頂いてもそれなりに話の分かるようなものになっていると思います。成人向けではありません。詳細が決まり次第またお知らせ致します。もし通販を希望される場合には早めにメールでお知らせ下さい。メールアドレスはトップページの一番下に掲載してあります。

bk1売り上げ報告

先月分のご報告です。

ご利用ありがとうございます。

2006年3月4日(土曜日)

久しぶりにアクセス解析見て、どえりゃあびっくりしたんですが、

これはちょっと考えた方がいいと思うわ。このままの状態でネットやるのは絶対お薦めしない。会社からのアクセスなんてもってのほか。Windows95がまだ稼働してるってのも凄いけど。

2006年3月7日(火曜日)

あっちゃん、お誕生日おめでとう。

あっちゃんが幸せでありますように。大好きです。

2006年3月8日(水曜日)

今日は一日いい天気。

4月から姪と甥が保育園に通う事になり、通園バッグやらコップ袋やらこまごましたものが必要になるので、天気もいいし散歩がてら一緒に買い物に行こうと妹に誘われホイホイついていく。

大通りを通らずに川べりの砂利道をのんびり歩く。日差しは柔らかだが歩いていると次第に汗ばんでくるような陽気だ。アリンコもテントウムシもいるし、黄色いチョウチョも飛んでるよ。アハハハハ。

姪はなぜか小石を拾うのが好きで、ひたすら石を拾っては袋に詰めて歩いている。クラゲと小石が好きな3歳。うーむ。甥の方は、砂利道をガリガリ進むベビーカーに乗ったままいつの間にか爆睡している。うーむ。

結局2時間近くたらたらと歩いて手芸用品店に行き着く。お目当てのシナモンの布地が見つかりご満悦の姪。甥のはトーマス(本人の意向ではないらしい)。

買い物が済んでちょうどおなかも空いたところで近くのファミレス風居酒屋へ。掘りごたつ式の座敷でゆっくり食事と思いきや、つかまり立ちとハイハイの絶頂期にある甥が暴れまくりで周りはおおわらわ。子供連れで食事って大変だわね。

そんなこんなでお食事も終盤に差しかかった頃、姪が「おしっこ〜」。はいはいとトイレに連れて行き、席に戻るとそこには信じられない光景が。

長ネギを無理矢理乗せられ蹂躙された皿

なんじゃあこりゃあ。オイラが全部食べ切った定食の皿に、よりによって長ネギを乗せるとはこのやろう、どんな嫌がらせだこれは。「揚げ出し豆腐のネギがさー」と妹。「他にいくらでも空いてる皿あんじゃねえかよ」激怒するオイラ。笑いながら謝る妹。怒りが収まらないオイラは「写真に撮ってお前の携帯に送りつけてやるー」と携帯スタンバイ。「イヤー撮らないでー」と笑い転げる妹。構わずシャッターを切るオイラ。

と、その様子を見ていた姪が、「マリちゃん、母ちゃんがやめてって言ってるのに写真撮っちゃダメでしょ!」と怒り出す。「人が嫌がってる事やっちゃダメなんだよ!」なにやら凄い剣幕だ。ならこっちも本気で応えるのがスジってもんだ。「最初に母ちゃんがマリちゃんの嫌がる事したんだよ。だからマリちゃん怒ってるんだよ。最初に悪い事したのは母ちゃんの方」「でも、母ちゃんやめてって言ってたでしょ!」こちらを睨みつけ一歩も譲らない姪。たいしたもんだ。そこへ妹が「母ちゃんが悪かったんだから○○はマリちゃんに怒らなくていいんだよ。それより、そんな事言って残ってるプリンから話題を逸らそうとすんな」。このひと言でいきなりしゅんとなりしぶしぶ残ったプリンを食べ出す姪。そういう事かい。オイラにゃまだまだ子供の心がわからんわ。

帰り道もまた小石拾いに余念がない姪。と、いきなり「これマリちゃんにプレゼント」と言ってこちらに渡そうとする。うーむ。「マリちゃん、石はあんまり好きじゃないからいらないよ」「えー、でもせっかく拾ったからあげるよ」「でもさっき”今度公園に持って行って遊ぶ”って言ってたでしょ」「あ、そっか」この子の頭はどうなっているのかちょっと心配になってきた。

2006年3月12日(日曜日)

最近、自殺について考えてばかりいる。

うつの初期の頃は、自分には何の価値もない、自分は誰にも必要とされていない、自分がいなくなっても誰も困らない、という思いだけで毎日過ごしていたが、積極的に「死にたい」とまでは思わなかった。

それが昨年の秋、上司との面接で「もうお前が職場に戻ってきてもどこにも受け入れられない」というような事を言われた時に初めて明確に「死にたい」と思った。

それでもその後どうにかこうにか生きてきて、薬のおかげで最近は頭の働きも少しずつ元に戻り始めてきている実感があるのだが、頭がクリアになればなるほど思考が自殺に向かっていくようになってきたのはどうしたものなのか。

自殺サイトによる2005年の死者は91人、対応ガイドラインの作成後は減少傾向

 警察庁は9日、インターネット上の自殺予告事案への対応状況を公表した。2005年にインターネット上のいわゆる「自殺サイト」を通じて知り合った人による自殺事案は34件91人に上り、2004年に比べて15件36人増加している。

(中略)

 ガイドラインの作成後、2005年10月〜12月の間にいわゆる自殺サイトで知り合った人による自殺案件は5件11人発生。2004年10月〜12月の11件36人からは減少している。

これはあくまでも表に出ている数字だからあまり参考にはならないような気がする。

NETWORKWORLD Online - 真夜中のインターネット 第6回 自殺サイトの功罪

 先日起こった「自殺サイト殺人事件」は、世間に大きな衝撃をもたらした。自殺サイトで知り合った若い女性や男子中学生らを連続で殺害したという、何ともショッキングな事件である。新聞報道によると、逮捕された前上博容疑者(36)は、「男でも女でも、口をふさいで苦しむ姿に性的興奮を覚えた。苦しむ顔が見たかった」と供述しており、当人に自殺する意思などなかったという。近年、ネットがらみの犯罪は大きく報道される傾向があるが、今回の事件はあまりにも猟奇的だったため、いつにも増して大きな議論を呼んでいる。

これは需要と供給がうまく噛み合ったいい例なんじゃないかと思ったが、世間の反応は違ったようだ。

 「自殺サイト」というのは、その名の通り自殺志願者や自殺に興味のある人々が集うWebサイトのことだ。内容は掲示板であったり、ブログを使った日記形式だったりする。2003年ごろから、見ず知らずの他人どうしによる集団練炭自殺が頻発し始めたが、その背景にはこの自殺サイトの存在がある。元々自殺願望が小さい人々であっても、志願者どうしがお互いに刺激し合うことで、最後の一線を踏み越えてしまうことも多いらしい。

叔父の知り合いに鼻と口をガムテープで塞いで自殺した人がいる。自殺というのはそういうものだと思ってきた。孤独と絶望の果てに行き着くところ。だから自殺サイトの話なんて「一人で死ぬ事すらできないほど人間はダメになったのか」という軽い失望感すらある。増してなるべく楽に死にたいなんて虫のいい話だ。

自分はいつも周囲に勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になって、勝手に失望してばかりいる。他者への依存心が強いんだろう。それでもこれまでは他に発散できるものがあったり、自分なりの喜びや楽しみを見つけたりしながら過ごしてきたが、ここにきてどういうわけか一気に何もかもが自分を失望させてくれてばかりいる。

もし今自分が死んでも、いくつかのサイトとSNSの更新が止まるだけで誰も困りはしないだろう。変わりはいくらでもいる。ちょっと前までは「自分の死後とはいえ、この荒れ果てた部屋に他人が踏み込んでくるのは嫌だ」と思っていたが今はそれもどうでもいい。

こんな思いが変わる時がいつかくるんだろうか。今は何も見えない。

2006年3月14日(火曜日)

12日の日々録について、数名の方から「アンタちょっと何考えてんのよ」的メールを頂きましたが、本気で死のうとしている人はこんな物欲しそうな文章書かずにすとんと死ぬんですきっと。ただ自分は今こういう考えに陥っているというだけで。

つーか、普段何のリアクションもない人からいきなりメールがきた事に驚いた。書く方も勝手だけど見る方も勝手なんだなと改めて思いました。

楽天アフィリエイト売り上げ報告

先月分のご報告です。

ご利用ありがとうございます。

2006年3月16日(木曜日)

BUCK-TICK同人サークルべろべろもこもこの情報です。

3月19日(日)のHARU COMIC CITY 11で新刊を発行します。執筆者はまるぱのみです。内容は一般向けです。場所:東京ビッグサイト東2ホール、スペースNo.:カ18b、サークル名:EXE.さんにて委託させて頂くことになりました。興味がおありの方は是非お立ち寄り下さい。

2006年3月19日(日曜日)

本日のイベントで新刊をお買い上げ下さった方、ありがとうございました。また、お忙しい中、快く委託に応じて下さったEXE.様、本当にありがとうございました。

で、久しぶりに東京に出たついでに色々と野暮用を済ませるべくあちこち回ってきたんですが、昼頃までは穏やか〜でうららか〜な日和だったのが段々強風吹きすさぶようになり、果ては強風の影響で宇都宮線が止まっただの埼京線に人が立ち入っただので移動経路のダイヤがことごとくめちゃめちゃ。駅はどこも人で溢れてるし、思うように電車が来なかったり走り出しても途中で止まったりするもんだからみなさんギスギスのイライラ。ううむ、自分はこの熾烈なる環境の中に復帰できるんだろうか、なんて真剣に考えてみたりして。

んでもって久しぶりに新宿のタワレコなんぞ行ってみたりして。向かうはNEW AGE/AVAN POPコーナー。コーナーの名称はともかく、ここが一番自分にとって良盤との出会い率が高い。BRUCE HAACKの初CD化シリーズがずらっと並んでたり、RATHER INTERESTINGの10th Anniversary BOX2があったり、ほんとなら全部買っていきたいところだけどオサイフと相談してぐっとガマン…していたら、ふっとこんなのが目に入った。

おおお…ちょうどここ最近、NHK「新日本紀行」のテーマが聞きたいなあと思ってたんですよ…あの、郷愁を誘うような優しくも強い音楽が。

こういうのって、やっぱり偶然じゃなくて必然なんだと思うわ。出会うべくして出会ったのね…と、ちょっと有り難いような懐かしいようななんとも言えない気分で手にとる。ああ、通販じゃなくてお店でCD買うの久しぶりなような気が。

で、帰って来て早速「やっぱりいいわ〜」なんて思いつつ聞いてたら、次から次へと聞いた事のあるメロディーが。「ニュース解説」のテーマも冨田さんだったのかあ…ってちょっと待て、「きょうの料理」もそうだったの?! 知らなんだ…今まで全然知らなんだ…。「新日本紀行」のあの壮麗な佇まいと「きょうの料理」のチャカポコした感じが、同じ人の手によるものだったなんて。これが作曲家の仕事というものなんですね。改めて敬服いたしました。

ちなみにライナーノーツによると、「きょうの料理」は放送開始の前日に急遽オープニング曲が欲しいという話になって冨田さんが放送会館にいたところを捕まえられ録音スタジオの廊下のベンチで曲を書き通りすがりの演奏者をかき集めて録音されたんだそうな。ほえ〜。それが1957(昭和32)年から今までずーっと流れてるなんてなんだか凄い(現在放送されているものは1997年にリニューアルされたバージョン)。誰でも知ってるもんね、あのメロディー。

ところで「きょうの料理」といえば、局アナでありながらしょーもないダジャレを飛ばしつつ流れに逆らわないナイス進行でお馴染みの後藤繁榮アナが『「きょうの料理」のヒミツ』という本を出版することに。Amazonでは3月11日発売と表示されていますが、後藤さん自身がお書きになっている「週刊ゴトウハンエイ」によると発売日は3月20日とのこと。「スタジオの様子や、料理家たちの素顔、料理する楽しさなどを語りつつ、食とコミュニケーションの問題にするどく斬り込む初のエッセイ」だそうで、読むのがとても楽しみです。

2006年3月22日(水曜日)

会社に呼び出されたついでに映画を見てきた。今日は水曜日でレディースデイ、1000円で映画が見られるお得な日だったからね。

タイトルは「ヒストリー・オブ・バイオレンス」。デヴィッド・クローネンバーグの新作である。

クローネンバーグといえば、視覚的なエグさと精神的なヤバさが相まって救いもカタルシスも知ったこっちゃないという作風の監督という認識でしたが、今回は削ぎ落とせるものは全て削ぎ落として必要な部分だけを丹念に描き、多くを語らない分、余計に見るものの想像力が要求される、まるで詩のような作品になっています。

これまでのような「クローネンバーグ臭さ」を期待すると肩すかしを喰らうけれども、重厚で濃密な物語の中から語りかけられる問いは大きい。これまでの作品もラストシーンで多くの疑問を投げかけてきましたが、今回ほど考えさせられた事はなかった。救いはあるのか、ないのか。絶望の中から希望は見いだせるのか。

作品の中で特に印象に残ったのが2度のセックスシーンで、1度目は愛を確認し合う夫婦の戯れ、2度目は暴力と性的興奮に導かれて獣のように互いを傷つけ合いながら貪り合う行為と、そのどちらもが人間にとって真実であり逃れられないものであることを語っているようで、この作品の主題を象徴しているように感じられました。

決して暴力を礼賛しているわけではなく、だからこそ真正面から暴力を描き、人間を描こうとした、非常に重みのある作品です。

*

ちなみにパンフレットはハードカバーで1000円、監督や俳優のインタビュー(翻訳物じゃなくて日本人によるオリジナル)もしっかりあって自分にとっては納得のお値段でしたが、書き手によっては「なんじゃそら」みたいな文章もあって、こんなんでギャラが貰えるってのも凄いもんだなーなんて勝手な事も思ったりしました。

2006年3月23日(木曜日)

最近、多数のがっくりに見舞われてきたが、中でも特にがっくりきたのが市川哲史著「私が「ヴィジュアル系」だった頃。」である。 ひとことで言えばタイトル通り「過去の人の話」なのだが、そのやり方が卑怯だ。

最初の大槻ケンヂはまだいい。この人は今や扱いやすい文化人として雑誌やらテレビやらで大活躍、自分の中では既に過去の人である。そういう人が「昔はこうだったんだよね〜」と語るのだから何の罪もない。

YOSHIKIがXを語るのもいい。もはやYOSHIKI以外に語れる人はいないわけだし、YOSHIKIでなければ語れない事も多いんだろう。

が、LUNA SEAというバンドをSUGIZOに総括させるのはどうなんだ。「そりゃアンタからしたらそうでしょうよ」という言い分ばっかりで、それに対して市川氏はただ「そうそう」と受け入れるばかり。LUNA SEA終幕の時にライターとして何かしてたのならともかく、あんときゃ雲隠れの最中だったじゃないか。こんなのアンフェアだ。SUGIZO以外のメンバーにとってもLUNA SEAファンにとってもアンフェアだと思う。

キリトに至っては、1999年のBEAUTIFUL MONSTERS TOURでの洋楽ファンに対する煽り発言を賞賛するなど、もうね、アホかと、バカかと。そういうのがロックだっていうんなら勝手にどうぞだ。そもそも、洋楽だの邦楽だのロックだのビジュアルだのと垣根を作って音楽を聞くのがおかしいって言うんなら、自分らの演奏で聴衆唸らせてこそナンボだろが。それを、口先で「挑発」してる気になってるのが、それを持ち上げて見せる様が、醜悪で嫌だ。

とどめはあとがき部分である。

まずは、どうもすいませんでした。

実は本書、私が最初考えていた構想からはかなり外れた内容となってしまった。そもそもは、<V系と呼ばれた時代>を日本のロック史に位置づけようと、それこそ関係者たちの証言を根こそぎ集めて検証する予定だったのだ。他にも、セールス的な見地からの解析や『酒呑み日記』再録、音専誌の表紙の変遷に見るV系の栄枯盛衰、といった企画を雪崩のように詰め込むつもりだったのである。

ところが実際に作業を始めてみると、YOSHIKI、SUGIZO、キリト、大槻ケンヂとの対談が思いのほか盛り上がった上に、わざわざ改めて私が評価せずとも「V系とは何だったのか」がリアルに伝わる内容になっていることに気づいた。「ならば、できるだけ完全収録に近い形でその対談群を届けたい」と心変わりしてしまった次第だ。でもきっと、満足いただける内容になってるとは思うのだけれど――。

私が「ヴィジュアル系」だった頃。

この人はもはや編集者ではないのだ。

話は変わるが、高橋幸宏さんと鈴木慶一さんのユニット、THE BEATNIKSが「M.R.I.」(Amazon)というアルバムをリリースする前にファンを集めた試聴会という企画があって(凄く高級なオーディオシステムで発売前の新作を聞かせてもらえた)、その際の質疑応答の折りに「前作の制作時と変わったところはなんですか」という問いに対してお二人とも口を揃えて「作業時間が早くなった」と答えていたのだった。昔であれば、あれもやってみようこれもやってみようと試行錯誤を重ねて、最初から出来もしない事をやろうとしたりして時間がかかったりしたけれど、十数年経って互いにそれなりの経験を経て、出来る事と出来ない事の判断がついているから無駄な事をしなくなった分、余計な時間をかけずに済むようになったということだった。このアルバムが出たのはもう5年も前の事だが、この時のやりとりは非常に印象深かった。若いが故の回り道を否定するのではなくて、色々やって来たからこそ今はこういう風に出来るようになったんですよという、大人として、また音楽家としての余裕を感じさせるものだった。それが経験というものなんだろう。

それを思うと、今回の市川氏のエクスキューズはひど過ぎる上に矛盾している。誰に対して謝っているのかもわからないし、「すいません」といいつつ「満足いただける内容になってるとは思う」とはなんだ。当初の企画が実現できなかった理由を自分の思い込みだけで納得させる気か。そんなこと言うくらいなら最初からしゃべるな。

1998年、当時編集長を務めていた「音楽と人」を突如ほっぽらかして行方をくらまし、翌年ひょっこりhideのファンクラブ会報やBUCK-TICKのオフィシャルサイトに寄稿した後、いつの間にかオリコンで記事を書いたりしながら今や自ら「帰って来た音楽評論家」を名乗ってはいるが、V系のみならず自分が関わってきた多くのバンドが次々と解散していく真っ只中で一体何をしていたっていうんだ。そのあたりの落し前を読者に対して一切つける事なく、今になって一体何が言いたかったんだ。

そしてこのあとがきの最後の最後で、氏はいきなりhideについて語り出す。

そんな<永遠のロック少年>だからこそ、私はhideが大好きだった――。

私が「ヴィジュアル系」だった頃。

バカヤロウ。こんなんアリか。そんなに好きならこんなついでみたいなんじゃなくhideで一冊本を書け。

今はジャニーズ系タレントのインタビューやライブレポまでこなしている市川氏だが、ファンの中には「ロック評論家の凄い人が記事を書いてくれている」とはしゃいでいる人もいる一方、「相手の事をよく知りもしないで自分で勝手に決めつけた印象を押しつけるのは不愉快だ」と述べている人もいる。これは昔も今も変わらない事だろう。

*

そんなぐったり感を味わっていた頃、ひとつのニュースが目に入ってきた。

「国家の品格」:新書で最速、100万部突破−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

 数学者、藤原正彦さん(62)著の「国家の品格」(新潮新書)が13日、発行から124日目で100万部を突破した。新書で100万部突破最速と言われる解剖学者、養老孟司さん(68)の「バカの壁」(同)より8日早いミリオンセラー達成となった。

藤原正彦さんと言えば、以前NHK教育テレビで「天才の栄光と挫折―数学者列伝」という番組を見て以来のファンである。過去の偉大な数学者たちの生まれ故郷や青春を過ごした場所など丁寧にその足跡を辿りながら、ひとりの人間としての生活に思いを馳せ、どのような暮らしの中で数学の世界に名を刻み消えて行ったのかを、淡々とではあるけれども実に暖かい目線で語っていたのだった(これは今では新潮選書「天才の栄光と挫折―数学者列伝」として出版されています(Amazonbk1))。

著作が沢山あり、数学について述べたものから日常を語るエッセイまで、どれも視点がユニークというか型にはまらないユーモアを感じさせる文章で気持ちよく読める。

その藤原正彦さんの著作が発行から124日目で100万部を突破、あの話題作「バカの壁」よりも早いペースで売れまくっているとはこりゃまたどうしたことか。

と、すぐにbk1で買おうと思ったら品切れときたもんだ。Amazonも入荷待ち状態。あちゃー。そこまで売れてるのか。で、あまり期待せずに近所の本屋に行ったらわんさか平積み状態…あーさすが神奈川の僻地。

何はともあれ無事入手できたので早速読んでみる…あーこりゃ痛快だわ。講演録を元に書き起こしているので語り口調で読みやすいし、何より論旨が明確だ。中で多くの史実が引用されていてその辺りは不勉強がたたってさっぱり裏が取れないのが歯がゆいが、それでも言わんとしている事はわかる。

アメリカゆずりの論理と合理性だけでは日本社会はダメになる、必要とされるべきは日本固有の「情緒と形」、これに尽きる、と。

ちょうど先日、news clipの方で「技術伝承 熟練の腕を後世へ」という記事を取り上げた事もあり、何でもかんでもマニュアル通りにするんじゃなく、気持ちが動く事がまず大切なんだよなあと思っていたところだったので、これには非常に共感するところが大きかった。

それに、小学生に英語を教える時間があったらきちんとした日本語を指導せよというのにも大きく頷ける。それ以前に、今の子供は遊びの時間も幅もなさすぎてかわいそうだなと思う方が先に立つのだけれども。あと、「最近の子供は手先が不器用になった」とか言いながらチューブ入り歯磨きのキャップがワンタッチなのに誰も異議を唱えないのは何故なんだろうとかね。スクリュー式キャップだからこそ手を使わなきゃいけないし、取ったキャップは平らなところにうまく置いておかないとすぐにどっかに転がってっちゃうんだということをワンタッチキャップでは学ばせる事ができないのよ。こんな風に、ちょっとした気遣いを学ぶチャンスがどんどん子供から(大人からも)奪われているように思うな。子供を巡る環境について考え出したらキリがないんだけど。閑話休題。

にしても、これだけ自分の言いたい事を言いたい放題言うのは気持ちがいいだろうなあ。前書きに「話し言葉に品が欠けていたため、ほとんどすべての文章に筆を入れる羽目になりました」とあるが、笑いを取ろうとしての事なのか自分の奥さんを引き合いに出す部分が多々出てくるけれど、そこを削らないのは愛なんだろうなあ。

この本に書かれている事を丸ごと実行せよ、というのではなく、これから日本がどうあるべきかを論じる際のたたき台として使われるにはいい本だなと思いました。但し、あっと言う間に読めてしまうので時間潰しにしようと思うと時間が余るのではないかと思います。そのくらいするっと読める本。だから売れるのかな。

*

アフィリエイトサイトを追加しました。雑誌のFujisan.co.jpです。

こちらは各種雑誌の定期購読が申し込めるサイト。忙しくてつい買いそびれてしまったり、近くの書店では手に入りにくいような雑誌を定期購読したい方に便利です。ものによっては送料無料だったり割り引きがあるものもあるので、お目当ての雑誌がある方はご覧になってみて下さい。面白そうな雑誌があったら紹介してみようかと思います(ニーズがあるかどうかはまた別の話って事で)。

2006年3月24日(金曜日)

咲き始めた桜

この写真ではちょっと見にくいけれど、少しだけ桜の花が咲いていた。

関東に来て20年近く経つけれど、未だに3月に桜が咲くというのに違和感を感じる。2月に梅が咲くなんて言語道断だ。

梅も桜もゴールデンウィークの頃に待ってましたとばかりに咲きほころんでこその春。東北育ちの自分は未だにそう思っている。

でも、今頃の、この春休みの時期のほっとしたような緊張するような妙な落ち着かなさだけは子供の頃から変わらない。何かが終わって安心している反面、新しい何かが始まる事にほんの少し期待しつつ恐れている、内弁慶な子供のままだ。

そんな子供のまま41歳にもなってしまった。何が変わって何が変わっていないのだろう。

答えが欲しいわけではないけれど、何かが足りないような気がする。それが何なのか分かる時がくるとは今は思えないし、分かったとしてもそれを自分が望むのかどうかも分からない。

分からない、分からない、分からない…これからも多分そんな日々だ。

*

お祝いの言葉を下さった方、ありがとうございます。大事にします。

2006年3月30日(木曜日)

春だけどまだ風が冷たいわね。でも花は綺麗に咲いてる。

桜 菜の花 桃?

天気予報で「気温が低いと花の見頃が長くなります」とか言ってて、なるほどそんなものかと思った。

*

先日、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」を聞いていたら、火曜日ゲストの荒川洋治さんが、池袋の「ぽえむ・ぱろうる」が4月一杯で閉店になると言っていてものすごくびっくりした。

ぽえむ・ぱろうるは池袋西武の書籍館の中にある、フロアの隅っこの小さな一角に詩集や詩の雑誌や同人誌やCDやビデオなどなどがびっしり置かれている詩の専門店である。昔は渋谷にも店舗があったが今は池袋にしかない。その、今や唯一となった詩の専門店がなくなるというのだ。がっくりである。自分の投稿した詩が載った雑誌を買うにはここが一番てっとり早くてよかったんだけどなあ。行く度に「うわーこんな本があるんだわー、でも高いわー、そのうち買おうー」と思いつつ買えずに帰って来たものだが、そんな本達にももうお目にかかれないかも知れない。普通の書店には詩のコーナーなんてまずないし、あったとしても相田みつをだの銀色夏生だの谷川俊太郎だの宮沢賢治止まりで、

このニュースは読売新聞の3月22日(水)夕刊に載ったらしいのだが、webにはアップされていないらしく、その記事を目にした人のブログがいくつか検索で引っ掛かる程度。が、「図書館に行けば新聞見られるんじゃない」と妹に言われてそうかと気付き、今日近くの図書館に久々に足を運んでみたのだが。

特別整理休館のお知らせ

くわー。今日からかよ。このタイミングの悪さは一体どしたごとだば(思わず恭造さん風になるオイラ)。そういえば広報にそんなお知らせが載ってたっけか…全館一斉に休館じゃちょっと不便よねーとか思ったんだよなあ…それが今日からだったとは…。

そんなわけで新聞記事にはあたれませんでしたが、閉店になる前に一度池袋まで行ってみようかなと思ってます。

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